高橋睦郎『百枕』(14) | 詩はどこにあるか

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高橋睦郎『百枕』(14)(書肆山田りぶるどるしおる、2010年07月10日発行)

 「歌枕--八月」。

今朝の秋ゆかしきものに歌枕

 暑い盛りは旅はつらい。ひんやりとした空気。秋の気配。そんな瞬間、たしかに旅に出たいと思う。旅に出なくても、旅に出ることを思う。「ゆかし」は文字通り「行く」から派生して、「行きたい」、行って、知りたい、見たい、聞きたい、なんだろうなあ。どことはいわず「歌枕」とおさえる。この、こころの動きがいいなあ。

歌枕訪ねん靴は白きをば

 「歌枕」を訪ねる--は、単にある土地へ行くのではなく、その土地とともにある「ことば」(文学)を訪ねるということなのか。「白」は、自分のこころを真っ白にしてということだろうけれど、この矛盾が楽しい。「歌枕」を知っているけれど、知らないこととして旅をする。知っていることを突き抜けて、知らないところへ行く。生きなおす。
 これは高橋の俳句そのものの姿勢かもしれない。
 反句で、次のようにい書いている。

この枕歌ひいださば秋の声

 「歌枕」が「枕」と「歌」にはなれ、はなれることで結びついている。これが高橋の「歌枕」へのいちばんの思いだろう。



歌枕始白河あきのかぜ

 この句も好きだ。
 ここにも「白」。「白」は「河」にかかっているのだが、「あきのかぜ」が白く感じられる。ことばは不思議だ。



百人一首
高橋 睦郎
ピエ・ブックス

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