高橋睦郎『百枕』(7) | 詩はどこにあるか

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高橋睦郎『百枕』(7)(書肆山田りぶるどるしおる、2010年07月10日発行)

 「初枕--一月」。

よき夢をたのみ縫ひつぎ初枕

 「たのみ」がおもしろい。期待する、願う、祈る。「頼んだぞ」というとき、たしかに、そこには「期待」がこめられている。「まかせた」ということばもあるが、少し違う。「まかせる」には自分の「思い」を放棄している(?)ようなところがある。「たのむ」は自分の「思い」をまだかかえている。未練のようなものがある。その「思い」をかかえながら、枕を縫う。新しい綿をつめる。新しい枕なら、初夢もきっといい夢になる。
 新しい--と書いたが、もしかすると新しくないかもしれない。「縫ひつぎ」の「つぎ」が古い枕を呼び起こす。古い枕を手直しする。その針の動きが「縫ひつぎ」の「つぎ」かもしれない。
 けれど不思議だ。そんな枕も「初」という字がつくと「年の初め」のための「新しい」もののように感じられる。枕は新しくないが、気分が「新しい」。ことばは、「事実」ではなく、「気分」を引き連れてくる。

よき枕得て決めてけり寝正月

 こののんきな感じもいいなあ。「寝正月」の理由を「枕」にあずけている。何もすることがないから寝正月になるのだろうけれど、いい枕が手に入ったので、というのは、とぼけていて、そこがおもしろい。

 「初枕」「初夢」、そして夢を食う「バク」。そんなことをめぐる句がいくつかあって、反句は、

年の占枕に問はんはつ衾

 「夢」「夢占い」。あ、それもあるかもしれないけれど、ここでは「問はん」が、とてもおもしろい。
 「はつ衾」は「初交合」(ひめはじめ)なのだろうけれど、それを「問う」とは、「どうなるかなあ」と想像するということ。「夢」みること。
 でもその「夢」は眠っているときにみる夢じゃない。覚めているときにみる「夢」。「枕」をみながら、想像する。「初枕」を「縫ひつ」ぐのも、覚めているときの行為。覚めながら、「よき夢」を夢見ている。
 「枕」と「衾」はセットになっているものだが、同時に「夢」と「セックス」ともセットになっている。



百人一句―俳句とは何か (中公新書)
高橋 睦郎
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