尾崎まこと『千年夢見る木』は「童話集」と書かれている。「童話」であるか「詩」であるか、定義すると面倒なので、そういうことは私は考えない。ただ、ことばとして読んだ。
「青麦畑」が印象に残った。特に、その2連目。
午後
山から風が降りてきて
教室では
お腹を空でいっぱいにした子供たちが
木立のようにざわめくことがある
てんでばらばらに
象さんが 亀さんが
キリンさんがね
などと嘘を
正直に語りはじめる
「嘘」とは、子供がおもいついたそれぞれのことば、事実を踏まえないことば、いわば空想のことだろう。その事実を踏まえないことばを「正直」と尾崎は呼んでいる。
このとき「正直」とは、自分自身の空想に対して正直、ということになる。
あ、いいなあ。
たしかに、それは正直である。思っていることをそのまま語る。だれかを騙すためではない。だれかを困らせるためでもない。ただ、自分を喜ばせるために語る。
ことばは、たしかに、こういう運動のためにこそある。
算数の答は置いといて
後ろの黒板に
チョークで白い雲を画く
すると
一面の青麦畑の海が開ける
この連は、まさに、正直そのものである。
雲は空にある。その空が大地(青麦畑)を呼び寄せる。青麦畑は、しかし、そのとき大地ではなく、海。
このことばのまっすぐな運動がとても気持ちがいい。
このあとは、しかし、むずかしい。
一生会うことは
叶わないけれど
姉さん、と
巻きあがる風に呼んでみる
これは僕の嘘
「僕」はすでに子供ではない。
ここには「おとなの残酷な嘘」(童話)がある。尾崎のことばには、そういうものがときどきまじっている。
これは「正直」であるか、どうか。私は、疑問を感じる。
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