監督 ジュゼッペ・トルナトーレ 出演 フィリップ・ノワレ、ジャック・ペラン、サルヴァトーレ・カシオ、マリオ・レオナルディ、アニェーゼ・ナーノ
ラストシーンのキスのラッシュが私は大好きだ。このシーンを見るためなら何度でもこの映画を見たい。
キスシーンは、映画技師が牧師の検閲によってカットされたものを繋ぎ合わせたものだが、ここに映画への愛がこめられている。キスシーン、あるいは「アイ・ラブ・ユー」とつげるシーン(記憶のなかでは、「アイ・ラブ・ユー」という台詞が残っているのだが、今回見た映画では台詞はなかった。唇の動きでそれとわかるシーンがあるけれど……)は映画のクライマックスである。それを「わいせつ」という観念でカットしてしまう検閲の暴力--それに対しての抗議。まあ、映画の主人公はそういう面倒くさいことはいわずに、ただカットされたシーン、日の目を見ないのは残念という思いから1本につなぎあわせたのだろけれど。
このシーンを見ながら、主人公は、映画技師の愛、人間そのものへの愛を知る。それは幼い自分に向けられた愛でもある。人が人を好きになる。そのとき人間はこんなに美しい。その美しい人間を映画技師はだれよりもたくさん知っている。いいなあ。性別も、年齢も超越して、ただ愛だけが輝く、その瞬間。
いいなあ。
この美しいシーンに匹敵するのは、主人公が青年時代に盗み撮り(?)する初恋の相手、エレーナの映像だ。8ミリフィルムのなかで振り向くエレーナ。その、モノクロなのに、モノクロを超越して、金髪、青い目という色も超越して、ただまぶしく輝く肌、視線。それが美しいのは、エレーナが美しいからではなく、青年が真剣に、純粋にエレーナを愛していたからだね。
キスシーンのラッシュを見ながら、トトが思い出すのは、きっと、そのときの愛なのだ。そんな瞬間がトトにもあったのだ。
あとは、付け足し。単なるストーリー。映画でなくても語れるものだ。
強いて、もうひとつ好きなシーンをあげれば、フィリップ・ノワレが若いトトに最後に語りかけるシーンかなあ。「おまえとは、もう話したくない。私はおまえの噂話を聞きたい。」あ、これは、すごい。噂話は、相手が「有名」にならないと聞こえてこない。ひとの伝聞のなかで生きるくらいの人間になれ、と若いトトを励ましている。フィリップ・ノワレはもちろんトトに会いたい、会いたいけれど、それ以上にトトに、「いま」を越えて生きてもらいたいと願っている。トトの幸福を願っている。
涙が出ますねえ。ひとの幸福を祈る。それより美しい愛があるとは思えない。愛しているからこそ、さらに幸福を祈る。そして、その祈りを、フィリップ・ノワレは生きる。
最後に形見として「愛する瞬間、人間は輝く」と「キスシーン」を残す。美しいですねえ。
(午前十時の映画祭、19本目)
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