林和清「ほそたほそ」 | 詩はどこにあるか

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林和清「ほそたほそ」(「ガニメデ」48、2010年04月01日発行)

 林和清「ほそたほそ」の巻頭の句。

また春の来て疲れたる山河かな

 エリオットの「四月は残酷な月」を思い出した。春が来て、山河はまた春の装いにかわる。ああ、何度目だろう。なんとなく、繰り返しに「疲れている」。もちろん山河は疲れはしないのであって、林の生きていることへの「疲れ」がそこに反映している。「喜び」ではなく「疲れ」と言い切ったところに、「いま」を感じる。
 「疲れ」をひきたたせる「また」もいいなあ、と思う。「また」春が来て「しまった」と「しまった」をつけくわえると、西脇になるかなあ、とも思った。

梅ひらく音より音へほそたほそ

 「ほそたほそ」が何のことか私にはわからない。けれど、そのわからないもののなかにある「音」が気持ちがいい。ことばのなかの、母音「お」の音の響きあいと、母音「あ」の音の乱調が、「また春の」の「疲れたる」のように、「肉体」を刺激する。

むらさきのちから恐れむ朧影

 そうか。むらさきの「ちから」か。朧な春の景色から「むらさき」だけを引き出してくるのではなく、そこに「ちから」を見ている。それは「疲れ」を見る視力と同じだ。

辺境に杭のいつぽん昼寝覚

 この句も好きだが、季節を動かずに、春の句だけを読みたかったなあ、と思った。



京都千年うた紀行
林 和清
日本放送出版協会

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