斉藤梢「貨物船」 | 詩はどこにあるか

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斉藤梢「貨物船」(「弘前詩塾」14、2009年12月31日発行)

 斉藤梢「貨物船」は、すーっと胸に落ち着くところと、頭にひっかかることろがある。わかるところと、わからないところが混在している。

起きて一杯の水を飲む
きらきらと細やかな粒子が
体のなかで静に踊る
その間 一分

そうして次には一番太い血管の川を
ことことと貨物船がゆく
貨物船は私の過去にかたむき
やわらかなその矛先は
わずかずつ今に痛みながら
よろよろと一直線に進んで、暮らしに挑む

 やわらかさこそが生きてゆくコツと
 言いました あなたは

いつの日かいつか
私が骨というカタチになったその時
あなたにだけはこの貨物船が
白い胸骨の隙間あたりから見えるといい

私の記憶を積む船体が
こつこつとただこつこつと軋む
ああ、
この貨物船という小さな秘密
            (谷内注・「ああ」は原文は漢字。口ヘンに意。)

 水を飲み、その水に誘われるように「貨物船」が登場する。それを「血管の川」を進んでいるというときの、その肉体感覚がとても落ち着く。
 「貨物船」の具体的な形はわからないおそらく、斉藤以外にはその「貨物船」は見えない。見えないけれど、「一番太い血管の川」ということばが、そのわからないものをしっかりとつかんではなさない。たしかに、ここに斉藤の言いたいことがあるのだとわかる。
 「貨物船」がどんなものかわからない。だからこそ、4連目がとても美しい。
 人が死ぬ。火葬する。そのとき、骨が残る。その骨は見える。一番太い血管は見えないというか、外からはその姿は見えないのだけれど、それがあることを私たちは知っている。骨も基本的に外からは見えない。けれど火葬にしたときは、燃え残ったその形を見ることができる。
 「貨物船」。「貨物船」という比喩のあらわしているもの。それは、血管や骨のように外からは見えない。斉藤の「肉体」のなかに隠れている。
 斉藤が死んでしまったとき、その「貨物船」はどうなるのだろう。血管のように炎のなかで焼き尽くされて消えてしまうのか。それとも骨のように残るのか。
 斉藤は、それがどういう形であれ「残る」ことを期待している。少なくとも「あなた」に見える形であってほしいと願っている。「肉体」が隠していたものが、その肉体のほとんどである血管も筋肉も皮膚も燃やし尽くし、骨だけ残したとき、「肉体」のなかに隠れていた「貨物船」が残ってほしい。その「貨物船」を「あなた」に見てもらいたい。
 この願いは、とても美しい。
 そして、「貨物船」がどういうものであるかは別にして、人が死んでしまったときというか、人が死んでから、生き残った人は、「あ、この人は、こんなことを隠していた」と気づく。
 その「隠していた」は悪いことではない。
 「からだ」を張って、「あなた」がそういうものと直面しなくていいように、「あなた」を守っていたのだ。「あなた」を守るために、その人がしつづけたことがあるのだ。それは悲しいことに、人の死がやってくるまではわからない。
 大切な人を亡くしたとき、その人が「わたし」(と、主語を書き換えて書いてみよう)を助けるために(守るために)こんなことをしてくれていたのか、と気がつく。それまで「わたし」がしなくてすんだいろいろのこと。それを大切な「あなた」が人知れず、やってくれていたのだ。どんなことであれ、人は人に守られて生きている。
 大切な人の「肉体」が消えたとき、その肉体の向こう側に、気がつかなかった風景が見えてくる。ビルが壊された後、そのビルが隠していた向こう側のビル、あるいは風景がみえるように……。

 「骨」だけになったとき、「あなた」が見つけるのは「貨物船」であるかどうかわからないが、かならず何かが見える。
 その何かを、斉藤は「貨物船」とこだわって言っている。そこに、斉藤の悲しさと「正直」がある。「あなた」が見るものが「貨物船」であってほしいという願いでもある。それ以外のものは、ずーっと気づかないままでもいい。けれど「貨物船」には気がついてね、と祈っている。
 とてもいい詩だと思う。

 ただし、少し気に食わないところというか、工夫してもらいたいと思うところがある。2連目の「よろよろと一直線に進んで、暮らしに挑む」。これは詩の1行としてとても厳しい。「暮らし」が漠然としすぎている。「一杯の水を飲む」という具体的な、誰の「肉体」の記憶にも呼びかけうる1行から始まった詩にしては、荒っぽすぎる。
 「暮らし」も「挑む」も「頭」では理解できるけれど、「肉体」ではつかみきれない。よくわからない「貨物船」さえも「暮らし」にくらべると、まだ「肉眼」に見える。いままで見てきた「貨物船」から、こんな船かな、荷物をたくさん積んでゆっくり進む船が見える。けれど「暮らし」というものは「肉眼」には見えない。
 たぶん書きたいことがたくさんありすぎて、そしてそのたくさんが一気に押し寄せてきて「肉体」では抱えきれなくなって、「頭」が「暮らし」ということばでそのたくさんを整理してしまったのだと思う。そこをもう少し踏みとどまって、「肉体」でつかみとれるものだけにふりしぼって書いてくれたら、この詩はもっともっと強烈なものになると思う。



 斉藤のこの作品は、「弘前詩塾」という冊子におさめられている。冊子のタイトルからわかるように、詩を学ぶ人たちが弘前にはいる。先生は、藤田晴央である。もう7年間つづいている。その藤田をおしのけるようにして余分なことを書いてしまったような気がするが、余分なことを書いてしまうのも、藤田のもとで自分のことばをきちんと動かす人が増えていると実感するからである。藤田が「陸奥新聞」に書いている「弘前詩塾7年の学び」という文章を読むと、塾生たちが「叢書」を出すまでになったことがわかる。ことばをきちんと育てていこうとする人がいて、その結果として、すぐれた作品に接することができるのだ。藤田の力がなければ、たぶん「叢書」はでなかっただろうし、斉藤の今回の作品も生まれなかったかもしれない。自力で生まれてくるにしても、もう少し時間がかかったかもしれない。ことばの「産婆術」をする人がどこかにいる。その結果というか、その果実を、遠く離れた場所でも味わうことができる。これは、うれしいことである。
 ついつい余分なことを書いてしまった(先生がいるのに、おしのけるようにして私が勝手な注文をだしてしまった)のは、出産に偶然立ち会った子供が、産婆さんとお母さんの頑張りにびっくりしながら、思わず「がんばれ、がんばれ」と声を張り上げて邪魔してしまったようなものだと許してくださいね。



ひとつのりんご
藤田 晴央
鳥影社

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