西原理恵子「毎日かあさん」 | 詩はどこにあるか

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西原理恵子「毎日かあさん」339回(毎日新聞、2009年12月27日朝刊)

 女性の作品に触れると、あ、こういう感覚はいいなあ、私にはないなあ、と驚くときがある。映画ではノーラ・エフロン監督。漫画家なら西原理恵子。
 西原理恵子「毎日かあさん」339回は「好き」といタイトルがついている。
 吹き出しを引用する。

子供のころ読んだ本「星の王子さま」でこの話の中に「待ってるのが好きなキツネの話」っていうのがあった。大好きな人を待つのが大好きなキツネ。

へんなことが好きなキウtネだな。子供のころそう思った。

それから大人になって自分もいろんな事が好きになった。これみんなすきかなあって夕飯の買い物をする時

街中でふらっと看板をみてこの映画いっしょにいこうって決める時。

自分のこととかどーでも良くなった時(お母さんイモジャーで外出しちゃダメー)

家族で旅行する時

そして

あ、もうすぐ帰ってくるなあって

待ってる
時。

いろんな新しい好きがいろんな思い出をつれてくる。

 最後の部分が、とても「おんなっぽい」と私は感じる。男性の視点に染まっていない「おんなっぽい」部分だ。
 「おんなっぽい」はどうしても男性の視点で語られる。性がまぎれこむ。男性の性意識を刺激する何かが「おんなっぽい」と定義されることが多い。
 西原の、「あ、もうすぐ帰ってくるなあって/待ってる/時。」は性の意識とは無関係で、」そして私の感覚にはない何かで、それに触れるととても気持ちがいい。ずーっと触れていたい気持ちにさせられる。ずーっと触っていたいという感じでは「おんな」なのだが、それが性を刺激しない――というところが、なんとも不思議だ。
 次の、

いろんな新しい好きがいろんな思い出をつれてくる。

 これは、なんともいえない感じ。ぎゅーっと抱きしめたいような、自分の感覚ではないのに懐かしいというか、あ、こういう感じをおんなは抱いて生きているのか、それをぎゅーっと外から抱いて、その抱いているものに触れてみたい。
 こういう感覚は、私には絶対ない。
 たぶん自分からは絶対に見つけることができないなにかだ。
 自分にはたどりつけない人間性――その大切なもの、それを教えてくれる。そういうものを「おんなっぽい」と私は呼んでいる。





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