大森寿美男監督・脚本「風が強く吹いている」(★) | 詩はどこにあるか

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大森寿美男監督・脚本「風が強く吹いている」(★)

脚本・監督 大森寿美男 出演 小出恵介、林遣都

 林遣都(たぶん)の走り方がとても美しいという評判に誘われて見に行った。目の手術以後、「走ってはだめ」と念押しされているので、走る快感をせめて映画からだけでも味わいたいと思って、見に行った。たしかに走り方が美しい。走っている気持ちになれる。だから、まあ、いい映画なのかもしれないが、私は最後の最後で大笑いをしてしまった。一緒に劇場に居合わせたひとは、きっと理由がわからなかったと思う。どちらかといえば、いちばん感動的なシーン、余韻(?)にひたるシーンで、私は涙が出るくらい笑いころげてしまった。
 ストーリーは箱根駅伝をめざす大学の陸上部の奮闘。予餞会に出て、最終的には駅伝にも出る。そして、最後の最後、アンカーがゴール直前で剥離骨折を起こし、はらはらどきどき、というものだ。そのはらはらどきどきはいいのだが、その最後の最後。
 実況放送をしているアナウンサー。風にメモ(資料)がとばされる。そして、「風が強く吹いています」と叫ぶのだ。なんだ、これは。これって、映画の台詞ではなく、小説の台詞じゃないか。
 映画のタイトルも(小説のタイトルも)、この1行をつかっている。
 でもねえ、こういう「余韻」というか感動の残し方は小説特有のもの。映画ではありません。映画は台詞で成り立っているのではなく、映像。風が強く吹いているなら吹いているでいいけれど、そんなことを台詞で説明しないとわからないなら、もうそれは映画ではない。映画であることを放棄している。
 役者を走るところから鍛えて、せっかく「肉体」に存在感をもたせたのに、それをわざわざ「ことば」でぶち壊すという監督の気持ちが(「頭の構造が」、あるいは「ばかさ加減」が、と読み替えてくださいね)さっぱりわからない。