監督 細田守 声の出演 神木隆之介、桜庭ななみ、富司純子
バーチャルシティというのか、仮想空間というのか知らないけれど、その暗号キーを解いてしまったために、バーチャルシティが混乱する。そして、そのバーチャルシティには警察や米軍まで参加していたため、バーチャルシティが現実にまで影響を及ぼしはじめる。(こういう紹介でいいのかな?)--というアニメ。
現実にバーチャルシティのパスワードが盗まれ、悪用される、というニュースを読んだ記憶はあるが、私は、この手のネットの事情はまったくうとい。私は目の調子がよくないので、何やら細かいキャラクターが飛び交うバーチャルシティの映像は、見ていてちょっとつらい。
そのうえ。
肝心の対決のシーンに使われる「ゲーム」が「花札」というのが、なんともまあ、おもしろくない。誰もが知っている簡単なゲームで巨大コンピューターと戦う(コンピューターを混乱に陥れる)というのは、この手の映画の最初の作品「ウォーゲーム」のまねごとだねえ。コンピューターの反乱自体は「2001年宇宙の旅」から描かれているけれど。まあ、ストーリーはというか、「戦い方」は「ウォーゲーム」や「2001年宇宙の旅」とは違うのだけれど、その「違った」部分に、「人情」というか、人と人のつながりが出てくるのが、なんともいやらしい。
この映画のとても重要なキャラクター、おばあちゃん(声・富司純子)の「哲学」が、ここに反映している。「重要なのは人と人とのつながり」という主張。
それはそれでいいけれどさあ、なんか、ばかにしていない?
そんなありふれた「哲学」を主張するために、バーチャルシティだの、アバター(だったっけ?)、パスワード窃盗だのを登場させ、あれこれやってみせるというのは。まるで、PTAの「説教映画」。
「花札」で負けそうになった主人公側に、世界の人々が、「私のアバターをつかってください」と提供し、それによって最後の大逆転というのは、うさんくさいなあ。いやだなあ。
ああ、「2001年」の「ハル」がメモリーを取り外される過程で、必死になって「デイジー……」と歌う、その音がだんだんくずれて低くなっていくシーンの悲しみ。(私が見たあらゆる映画のなかで3番目くらいに泣けるシーン。思い出すだけで、涙が出てしまう。)「ウォーゲーム」の「3マス五目並べ(?)」を必死になってやるコンピューターの突然の覚醒。そこには、なんといっても「機械」の正義のようなものがあった。機械から人間に対する信頼のようなものがあった。--これって、結局、人間の、機械に対する「信頼」の裏返しの表現だけれど。
「サマーウォーズ」には、そういう機械の悲しみ、機械のいのちが描かれていない。人間の「わがまま」だけ。「わがまま」なのに、それを正当化する「説教」。いやだね。
ストーリーは別にして、映像という点でも、バーチャルシティの色使いが、とても気持ちが悪い。色に深みがない。唯一おもしろいのは、富司純子おばあちゃんが、ダイヤル電話を使うところかな。うーん、まだ、つかっているんだ。嘘だとわかっていても、あの、じーこ、じーこ、じーこというリズムを再現したのは、この映画の手柄。そのリズムが映像全体を動かしてクライマックスにつながればいいんだけれど(そうすれば、傑作)、リズムは捨てて、「説教」だけ引き継いだのが、失敗。この監督は、映画を知らないね。
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