きのう読んだ詩群のつづき。やはり病院での生活を描いているのだろう。「ゆらゆら」の全行。
ゆらゆらと
ものの影
あらわれて
ゆっくりと
近づく気配
細くなり
太くなり
伸びて
震えて
また繋がり
かげろうみたい
にげみずみたい
みたいな
あれは
ひとか
ゆっくりと
近づき
ゆらゆら
わたしも
ゆら
「眼の事情」というタイトルのうちの1章。安水の入院は「眼」の手術か何かなのかもしれない。
かげろうみたい
にげみずみたい
みたいな
あれは
ひとか
の部分の、「あれは」と言いなおす呼吸が、意識の動きをていねいに伝えている。ぼんやりしたものを、即座に「○○」と言ってしまうのではなく、一度「脳」のなかで反芻して、(あるいは、こころのなかで反芻して)、自分に言い聞かせる。自分を納得させようとしている。
その前の部分に「また繋がり」ということばが出てくるが、「脳」は繋いでいるのである。意識は繋いでいるのである。眼にみえる何かを、記憶にある何かと。私の外にあるものと私の内部を繋ぐ--その働きをするのが「眼」(ほかの肉体もそうだけれど)。そして、その働きを確認する(繋がり具合を確かめる)のが「脳」であると言いなおすべきか。
「私」と「私の外部のもの(存在)」を繋ぐとは、私のなかに「もの」が入ってくることである。意識が「一体」になる。そのとき、「私」は「もの」に影響される。あるときは、「もの」そのものになる。
ゆらゆら
わたしも
ゆら
外部の「もの」が揺れている間は、「私」も揺れる。「私」だけが揺れるのではなく、「もの」も揺れる。この一体感が、不安である。
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