『旅人かへらず』のつづき。
一四四
秋の日のよろめきに
岩かどにさがる
妖霊の夢
たんぽぽの毛球
半分かけた
上弦の夢うるはし
「岩かどにさがる」の「か行」の動き、「妖霊の夢」の「や行」の動きも愉しいが、最後の2行の「は行」が愉しい。現代仮名遣いでは「は行」が浮かび上がらないかもしれないけれど、あ、「うるわしい」は「は」だったのだ、「は」の音は冒頭以外は「わ」になるのが日本語の規則だった……などと、思い出してしまったが。
ここでは、絶対に、西脇は「は行」にこだわっている。
その証拠。
「半分かけた/上弦の夢うるはし」の「上弦」は「上弦の月」であるだろう。上弦の月は半分欠けているに決まっている。(下弦の月もだが)。その誰が見ても半分かけている上弦の月を「半分かけた」と書くのは「はんぶん」の「は」の音を印象づけたいためなのである。
一四五
村の狂人まるはだかで
女郎花と蟋蟀をほほばる
この2行では、「蟋蟀ほほばる」という音を西脇は書きたかったのだ。「蟋蟀」は旧かなで書けば「こほろぎ」。「ほほばる」の「ほ」が出てくる。そして、「ほほばる」の2度目の「ほ」と「こほろぎ」の「ほ」は、口語にしてしまうと、つまり声に出してしまうと、ともに「お」になる。
「一四四」の「半分」と「うるはし」では音は微妙に違ったが、「蟋蟀」と「ほほばる」では、音が完全に重なる。
西脇は、ことばで音楽をやっているのだ。
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