『旅人かへらず』のつづき。
四〇
窓口にたふれるやうに曲つた幹を
さしのばす花咲くさるすべりの樹に
何者か穴をうがつ
何事をかなす
「さしのばす花咲くさるすべりの樹に」という「さ行」「は行(ば行)」の動きがとてもおもしろい。
「何者か穴をうがつ/何事をかなす」には「な行」と「か行(が行)」のおもしろさがある。
何の根拠もなく書くのだが、西脇の音の響きは、古今・新古今というよりも万葉に近い。私にはそう感じられる。「意味」があって、それにあわせて響きを選ぶのではなく、まず音そのものがある。
「意味」はいらない。
四一
高等師範の先生と一緒に
こまの山へ遊山に行つた
街道の鍛冶屋の庭先に
ほこりにまみれた梅もどき
その実を二三摘みとつて
喰べた
「子供のときによくたべた」
といつて無口の先生が初めて
その日しやべつた
西脇が「曲がった」ものが好きである。同じように「もどき」も好きである。それは逸脱していくもの、と言い換えることができるかもしれない。
この詩では、私は最後の行がとても気に入っている。「口をきいた」でも「話した」でもなく「しやべつた」。この口語の響きがとても気持ちがいい。俗な響きが、あたたかい。
「無口の先生」の「の」に西脇のことばの好みも出ている。「な」だとことばが軽くなる。深みがなくなる。
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