「館(やかた)」という詩には魅力的な逆説がある。矛盾がある。
昼間は素顔の女たち
赤裸の心に皮膚をまとって検診を待っている女たち
けだるい表情 白昼夢の中で呼吸している娼婦
身ぶり手ぶりまでモノクロの世界
これに彩色するのが小男の聖なる仕事
油彩だけで百点以上
『ムーラン街のサロン』はその代表作
夕暮れがせまってくると
女たちは裸体の皮膚をはぎとって
人工の織物 獣性の香水 顔には仮面をつけて
「皮膚」のかわりの「人工の織物」「獣性の香水」「仮面」。それが人間を「裸」にする。「皮膚」の下に存在する「肉・体」を引き出す。「肉体」になるために「人工の織物」「獣性の香水」「仮面」が必要なのだ。「裸体の皮膚」に「体」がつつまれているときは、それはまだ「肉体」ではないのだ。
そして、男たちは、「人工の織物」「獣性の香水」「仮面」に出会うことで、「肉体」に出会う。それをはぎ取ったら「肉体」があるのではなく、「人工の織物」「獣性の香水」「仮面」が「肉・体」なのである。だからロートレックは、「人工の織物」「獣性の香水」「仮面」をつけた女たちを描くのだ。
心は水平軸 たえず左右に移動する
魂は垂直軸 とっくの昔に失ったはずの魂が
娼婦たちを聖地にのぼりつめらせ
その瞬間 異神の地獄へ突き落とす
左右へ移動することが垂直に動くこと。聖地へのぼりつめることが地獄へ落ちること。それは切り離せない。対立したもの、「矛・盾」したものは、かたく結びつくことで「真実」になる。
「人工の織物」「獣性の香水」「仮面」をまとうこと、それが裸とかたく密着することで、「肉・体」が誕生するように。
この真実を、田村は「人間性」と呼んでいる。
「絵描きのアンリさん」
「コーヒー沸かしのアンリさん」
小男は女たちにニックネームをつけられても
彼の白熱した目は
女たちの人間性という血肉の線を見逃さない
この世の外(そと)に
小男の王国はあったのだ
「小男の王国」とはもちろん「絵」である。それはそして、「人工の織物」「獣性の香水」「仮面」が「肉・体」であるという「王国」でもある。それは「この世の外」である。ロートレックが生まれ育った「家庭」の「外」であるだけではなく、女たちが「人工の織物」「獣性の香水」「仮面」をまとっている「世界の外」でもある。「人工の織物」「獣性の香水」「仮面」が「肉・体」が世界であると同時に、それは「外」でもあるのだ。娼婦たちの「肉体」とぴったり重なる「絵」--世界は、「内」と「外」がかたく結びついて、「ひとつ」になっている。
内は外。外は内。--この矛盾こそがロートレックである。そしてそれは、同時に、田村でもある。
| 靴をはいた青空〈3〉―詩人達のファンタジー (1981年) 田村 隆一,岸田 衿子,鈴木 志郎康,岸田 今日子,矢川 澄子,伊藤 比呂美 出帆新社 このアイテムの詳細を見る |