「鳥語」には文体が乱れたところがある。最終連。
殺人という人間的行為には
宗教的な匂いがする
ホロコーストなんて一人の人間が一人の人間を毒殺したり射殺したり
アリバイを主張したりして性行為そっくりの劇は生れない そういえば昔
『情熱なき殺人』という洋画があったっけ
ぼくの墓碑銘はきまった
「ぼくの生涯は美しかった」
と鳥語で森の中の石に彫る
3行目の「ホロコーストなんて」ということばを引き継ぐ「動詞」がない。これは、田村にはわかりきったことなので、書き忘れたのだ。書き忘れても、書き忘れたことさえ意識できないほど、田村の「肉体」にしみついていることばなのだ。
「ホロコーストなんて」「人間的行為ではない」。したがって、「宗教的な匂いもしない」。田村は、そう書きたい。
では、「人間的行為」とは、何か。
アリバイを主張したりして性行為そっくりの劇
である。「アリバイを主張する」とは、主語が「殺人者」の場合、嘘をつくことである。ことばで真実ではないことをいう。それが「人間的」なのである。真実ではないことのなかに、「自由」がある。真実を破壊して、真実から人間を解放する。
それはたしかに「宗教的」なことかもしれない。人間は死ぬ。その絶対的な真実を破壊し、否定し、宗教は、死とは対極にある「永遠のいのち」を語る。現実には、だれも体験したことのない「生」を語る。
「性行為そっくりの劇」。これは何だろう。興奮である。「直接性」である。相手がいるときはもちろんそうだが、相手のいないオナニーもまた直接的である。「肉体」に直接触れない性行為はない。
「アリバイ」の主張と、この「性行為」の直接性を結びつけて考えるとき、不思議なものが見えてくる。
「アリバイの主張」、その嘘は、けっして何かと触れない。不在。そこに存在しないことがアリバイである。「性行為」が直接的であるのに対して、「アリバイ」は直接性を否定する。他者との関係の直接性を否定する。しかし、その直接性の否定が嘘によってつくられるとき、そこには何が起きるのだろうか。意識のなかでは、他者との直接的な関係が強く結びついて離れない。--そこには、何か矛盾したものが、分かちがたく結びついているのである。
たぶん、「ホロコースト」には、この直接性がない。直接性がないから、矛盾もない。ホロコーストには「肉体」が関与する部分が少ない。殺人が直接的ではなく、間接的におこなわれる。実感がない。だから、いったんホロコーストが起きると、その間接性(直接性の欠如)ゆえに、行為が暴走する。矛盾をかかえこまないものは、踏みとどまることができない。
田村の詩について、何度か「矛盾」ということを書いてきたが、その「矛盾」は、「直接性」と深くつながっている。「直接」とは、何かしら「矛盾」しているのである。「直接性」も、田村の「思想」のひとつである。
「直接性」は、また別の角度からも見つめることができる。
アリバイを主張したりして性行為そっくりの劇は生れない そういえば昔
この1行。なぜ、1行なのだろう。末尾の「そういえば昔」は、「アリバイを主張したりして性行為そっくりの劇は生れない」とは文脈上、結びつかない。「そういえば昔」は次の行の「『情熱なき殺人』という洋画があったっけ」と結びついている。
行が、ある意味で「不自然」な形で展開している。文脈を優先するのではなく、ほかのものを優先している。
何を優先しているのか。「論理」ではなく、「論理」にならないものを優先している。「論理」以前のもの、「論理」を破壊するものを優先しているのだ。
「ホロコースト」ということばを出したために、文脈はぶれたが、その「ぶれ」をもういちど元へ戻すために、田村は「殺人」ということばをもう一度登場させたいのだ。殺人の直接的なもの--その美しさ、直接的なものだけがもつ美しさを取り戻したいのだ。
アリバイを主張したりして性行為そっくりの劇は生れない そういえば昔
この1行には、ことばにならない「直接性」が隠れている。「ホロコーストなんて」ということばが「述語」を欠いたまま、「直接」「殺人」と対比され、「直接」対比することで、そのなかでねじれた「未分化」の「論理」のようなものが、バネの反動のように、揺れ動いている。
そこが、この詩の、おもしろいところである。
直接的なものは、すべて美しい。田村が、墓碑銘に選んだ「ぼくの生涯は美しかった」ということばのなかにも「美しい」が輝いている。「ぼくの生涯は美しかった」とは、言い換えれば「ぼくの生涯は直接的だった」ということである。
田村は「肉眼」ということばを何度もつかっている。それは、「見る」という「方法」を破壊して、(人間が歴史のなかで形成してきた「視点」を破壊して)、「未分化」の「いのち」としてものを見るということだが、これは「いのち」が「直接」ものを見るということ--と言い換えることができるかもしれない。
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