リッツォス「ジェスチャー(1969-70)」より(3)中井久夫訳 | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。

慎みのなさ    リッツォス(中井久夫訳)

翌朝、彼はほとんど病気だった。
ゆうべさんざん言葉をつめこまれた、ポンプで以て。
もう沢山だ、言葉は。だが言葉を振り払えない。
通りを隔てた家はすっかり白く塗り換えている。
どぎつい白さ。ペンキ屋の声が冬の光の中でやけに大きく響く。
屋根のてっぺんにいる一人が煙突を抱いた、セックスするみたいな恰好だ。
白いペンキのぼってりした滴が
朽ち葉の降り積む黒土に飛び散った。



 夕べと翌朝。その間に何があったか。「言葉を詰め込まれた」とは、口論のことだろう。女に言い負かされたのである。それですっかり、しょげかえっている。思い出すのもいやだけれど、思い出してしまう。
 屋根でペンキを塗っているペンキ屋がバランスをくずして煙突にしがみつく。それがセックスする恰好に似ている、と感じるのは、女との口論が原因で、セックスできなかったせいだろう。あるいは、不満足なセックスだったためだろう。どうしても思い出してしまうのだ。
 白いペンキ、飛び散ったペンキが、「彼」には精液に見える。

 鮮やかな白ではなく、「どぎつい白さ」。その「どぎつい」という修飾語に、「彼」のさびしさが漂う。