怒り リッツォス(中井久夫訳)
目を閉じて太陽に向けた。足を海に漬けた。
彼は己の手の表現を初めて意識した。
秘めた疲労は自由と同じ幅だ。
代議士連中が代わるがわる来ては去った。
手土産と懇願と、地位の約束とふんだんな利権とを持って来た。
彼は承知しないで足元の蟹を眺めていた。蟹はよたよたと小石によじのぼろうとしていた。
ゆっくりと、やすやすと信用しないで、しかし正式の登り方で。永遠を登攀しているようだった。
あいつらにはわかっていなかった。彼の怒りがただの口実だったのを。
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この詩のキーラインは3行目だ。「彼」は「自由」を味わっている。「自由」を味わうために、怒りをぶちまけるふりをして海へ逃れてきたのだ。
やってきたのは「代議士連中」であるかは、どうでもいい。「代議士連中」は比喩かもしれないし、本物かもしれない。比喩にしても、実際に「代議士」と同じような権力者的な存在には違いないだろう。
そして、「彼」の自由とは「蟹」になることだ。
たった一匹で、誰にも頼らず石に登ろうとする蟹。たった一匹であることが「自由」なのだ。いまの「彼」のように。
「彼」にとって登るべき小石が何かは、この詩では書かれてはいない。ただひとりであること、ただ一匹であることが、「彼」を「自由」にする。
孤独と自由は、リッツォスにとって同義語かもしれない。