小谷正子「八月の海月」、小松郁子「祖父」 | 詩はどこにあるか

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小谷正子「八月の海月」、小松郁子「祖父」(「現代詩手帖」2008年12月号)

 小谷正子「八月の海月」の初出誌は『八月の海月』(2008年01月発行)。
 ことばが存在をていねいに描写している。そして、そのていねいさが、現実と幻想(?)を入れ替えてしまう。ていねいに現実を描写していくと、それがそのまま幻想になっていく。現実の断片をていねいに描くと、断片が独立して世界を再構築する。そして、幻想を呼び寄せる。そういうことばの運動が2連目に出てくる。

潮入りの池
天日干しにされた汐留のビル群は
池いっぱいに浮いている

水面を風が泳ぐと
はかなくも
ビルは音もなく崩れた
掬いとったガラスの破片
指の間から流れるビルのかけら
瓦礫の中を滑るように漂う海月

風が止むと
光りと水の乱反射も
まつりのあとのように一気に静まり
海月は
何事もなかったかのように
建ち上がったばかりの
ビルの屋上に浮いている

漂っていたのは
八月の池に映った
真昼の月であったか

 ビルの断片を描写している内に全体が砕け、「月」を「海月」と勘違いしてしまう。(「くらげ」には「海月」のほかに「水母」という表記もあるが、ここでは「海月」以外にはありえない。)最終的に「海月」は「真昼の月」に戻るのだが、そうすると不思議なことに、まるで「真昼の月」の方が幻想的に見えてくる。なぜ、「海月」であってはいけないのか、と思えてくる。
 最終連の「漂っていたのは/八月の池に映った/真昼の月であったか」は現実を見ていない。幻想の「海月」をひたすら恋求めている。現実を「真昼の月」と認識しながらも、それを「であったか」とまるで幻想を見たかのように振り返っている。「あった」は現実ではなく、「意識」のなかの「あった」の確認である。意識の中には、いつまでも「海月」が残っていて、それが、とてもせつない。だから、それを恋求めているような感じが印象として残る。



 小松郁子「祖父」の初出誌は『わたしの「夢十夜」』(2008年01月発行)。
 小松のことばも、ただていねいに過去の一瞬を描写しているだけのように思える。けれども、そのていねいさは、不思議にずれる。現実と現実ではないものをくっきりと浮かび上がらせ、その「間」(現実と現実ではないものの「間」)をせつなくさせる。

祖父は
あがりかまちのなげしの上にかけられた
紋章入りの箱の中から
提灯をとり出しては
よりあいに出かけていた
帰ってくると、きまって
たもとから紙づつみのお菓子をとり出して
だまって渡してくれた
祖父が生きていた頃
村中がわたしの遊び場だった
祖父のことを村のひとたちは
田中屋のていしょう(大将)といっていた
祖父の生きていた頃
わたしには生まれる前からあったわたしの家があったのだ

「間」をつくりだすきっかけとなっているのは、「ことば」である。

 田中屋のていしょう(大将)といっていた

 「ていしょう」と「大将」。それは「ていしょう」ということばが「大将」という意味であると認識するとき、そこには「間」があることを教えてくれる。「田中屋のていしょう」がいた時代があり、それが「田中屋の大将」であるとわかった時代がある。その差異。その差異のなかにある「間」。そこには、帰ろうとして帰れない「時間」の分岐点がある。
 「田中屋のていしょう」と「田中屋の大将」はぴったり重なる。接続している。「実在」する人間はひとりである。しかし、「時間」が違う。
 父祖の時間ではなく、「小松の時間」が違ってしまっている。そのことに気づき、せつなくなるのである。そして、その時間の発見は、また別の時間をも発見させる。それは「わたし」にはどうすることもできない時間である。どうすることもできないから、せつなさがつのる。

わたしの生まれる前からあったわたしの家があったのだ

 2度繰り返される「あった」。そうのちの最初に出で来る「あった」は「間」が引き寄せたものである。そこに美しさがある。せつなさがある。




八月の海月
小谷 正子
思潮社

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わたしの「夢十夜」
小松 郁子
砂子屋書房

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