回想 リッツォス(中井久夫訳)
家が燃えた。虚ろな窓から空が見えた。
下の谷から葡萄摘みの声。遠い声だった。
ややあって、若者が三人、水差しをさげてやって来て、
新しい葡萄液で彫像を洗った。
イチジクを食べ、バンドを外して、
乾いた茨のなかに身を寄せ合って座り、
バンドを締めて去って行った。
*
1行目と他の行との関係がわからない。わからないけれど、書き出しの1行を私はとても美しいと感じる。火事の家の描写が美しい。うっとりしてしまう。
家が燃える。屋根が落ちたのだろうか。壁は立ったままで、そこには窓があって、その窓の、虚ろな穴の向こうに、真っ青な空が見える。その赤と青の対比。それが「虚ろ」ということばとともにある不思議さ。火の暴力。空気の、つまり風の高笑い。そして、青空の無関心。不思議な美しさがある。
若者三人の美しさは、その火と、空気と、青空の絶対的な美しさに対抗しているのかもしれない。
水差しの中にはぶどう酒。焼け残った彫像に、みそぎ(?)の酒をそそぎ、それから快楽にふける。飲んで、食べて、体を寄せ合って、何事もなかったかのように帰っていく。家が燃えたことなど、何の意味もない。
他者を拒絶した美しさがある。いつのことを思い出しているのかわからないけれど、こういう他者を拒絶した回想は詩のなかにしか存在し得ない美しさだと思う。