老漁夫 リッツォス(中井久夫訳)
爺さんは言う。「おれはもう全然海に出ない。
このカフェニオンに座って窓の外を見てるのさ」
若い漁夫らが籠を手に入って来る。
座って飲んでさえずる。
魚の身体のきらめきはワイングラスのきらめきとは違うんだぞ。
私はそう連中に言ってやりたいと思う。
そこの大きな魚の話もしたかった。銛が斜めに背中に突き刺さったままの奴だ。
陽が沈む時、そいつは影を長々と海底に落とすんだと。だが話さなかった。
あいつらはイルカを愛する人間じゃない。それに窓が塩水で汚れている。
磨かなくちゃ。
*
二つの主語。リッツォスの詩には、ときどき二つの主語が出て来る。この詩にも二つの主語がある。いや、ひとつなのに、複数の主語がある、と言った方がいいか。
老漁夫。主語はひとりである。しかし、彼は「おれは」と語りはじめる。それが途中から「私は」にかわる。会話をあらわす括弧「 」は消え、地の文で、「私」にかわる。それはほんとうはひとりの人物だが、微妙に違う。
老漁夫は、声に出して語るときは「おれは」という。しかし、無言で語るときは「私は」という。主語が二つに分かれる。これは、世界が二つに分かれるということである。そして世界が二つになるとき、ひとりの「老漁夫」は孤独を知る。「私」の世界を、「若い漁夫ら」は知らない。「若い漁夫ら」が知らない「私」が老漁夫の中に存在し、その老漁夫が、孤独なのである。
そして、この孤独は、人間とは別の「友人」を持っている。「友情」を持っている。心を交わすことができる存在がある。それは、彼がつり上げた魚である。
ヘミングウェイの「老人と海」の主人公に似ているが、老漁夫は、彼が格闘した魚とこころを交わす。闘いの中で、互いが生きていることを確かめあった。だから、そのつり上げた魚の夢がわかる。海底の長い長い影。ことばをもたない魚との、こころのなかでの会話。--その会話の中にある、透明な孤独。
リッツォスは、ことばをもたない存在と交流し、その孤独を透明なものにする。磨き上げる。