二度追放 リッツォス(中井久夫訳)
彼女は花瓶に花を活ける。花を揃える。ためすすがめつする。
男の傍によりそう。男は黙って。
四方の窓すべて静かな朝。彼女は羽ぼうきを取る。
家具をはたく。こころがそこにない様子で。
男はそれを見ている。色の奇麗な鳥が
足を挙げて勿体ぶって陶器の小さな像の周りを歩く。
彼女は身体を硬くする。ややあって男に身体をあずける。「いやよ、いやよ」
「鳥じゃないわ」と彼女は言う。「鳥じゃないのよ」。そして泣く。
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複雑な詩である。情景ははっきりしている。朝、女が男によりそう。受け入れられない。しばらくして、緊張した感じで男に体をあずける。そして、「いやよ。いやよ」と言う。さらに、「鳥じゃないわ」「鳥じゃないのよ」と二度言って、泣きはじめる。
繰り返される「鳥じゃない」とは、どういう意味だろう。女が鳥ではないのはもちろんわかりきったことである。「鳥じゃない」ということばで、女は何を言おうとしているのだろう。
「鳥じゃない」。だから、そんなに乱暴にしないでほしい、と言っているのか。男が鳥をあつかうように、力任せに支配しないでほしいと言っているのか。あるいは、「鳥じゃない」。陶器の小さな像のまわりを歩き回る鳥のように、私を見つめないでほしい。そんなふうに、ほっておかないで、と泣いているのか。
たぶん、後者である。
女は、朝より前に、やはり男から拒絶されている。拒絶という言い方がおおげさなら、受け入れられなかったことがある。そのさびしさが女のこころのなかにある。女はなんとか男に受け入れられたい。体ごと、しっかりこころを受け止めてもらいたいと願っている。けれども、どんなに寄り添っても、身体をあずけてみても、女は男には受け入れてもらえない。
二度、受け入れてもらえなかった。それは女にとっては「二度、追放」されたに等しい。その、孤独。泣くしかない。その、孤独。