リッツォス「証言B(1966)」より(9)中井久夫訳 | 詩はどこにあるか

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特別の時   リッツォス(中井久夫訳)

大きな月。銀の静寂。何事もなし。
白馬が一頭、庭の咲くの向う側に。光の柵。
若者が一人、庭に入った。
門を開かずに柵をすうっと透りぬけた。
胸と太股に合計四箇所。幅の広い金色の刺繍が残った。
柵のうねうね模様だ。
木の下で馬がいなないた。



 美しい風景だ。幻想的だ。神秘的だ。中井久夫の訳は、少し意地悪である。

門を開かずに柵をすうっと透りぬけた。

 「透りぬけた」。こんなことばはない。「とおりぬけた」とワープロで打つと「通りぬけた」(通り抜けた)と変換される。中井は「わざと」透明の「透」の字をつかって「透りぬけた」と書いている。
 中井の訳を「意地悪」というのは、「透」という文字をつかわなくても、この詩は透明だからである。そこに「透」という文字があれば、それこそ「すうっ」と誘い込まれもするが、同時に、えっ、こんな簡単に誘い込まれてしまっていいのだろうか、とも考えさせられるからである。
 中井は読者を立ち止まらせたかったのだろう。
 短く、透明な詩。描かれている風景を読み違える読者などいるはずがない。あまりにも簡単に風景を思い描き、「あ、透明な風景だ」と通りすぎられては困る。たちどまってほしい--そう思ったのだろう。
 「透りぬけた。」の小さな「罠」(つまずきの石)のあと、美しい美しい1行があらわれる。

胸と太股に合計四箇所。幅の広い金色の刺繍が残った。

 えっ? これって、なんのこと?
 もちろん、すぐにわかる。次の行が説明する。「柵のうねうね模様だ。」この、説明のリズムがいい。長く、これは何だろうと考えさせておいて、ぱっと短く断定する。その短いことばのなかに、前に読んだことばが映画のフラッシュバックのようによみがえる。
 「柵」は2行目に登場した「光の柵」、4行目にことばをかえて登場する「門」の「柵」。それは月の光がつくりだす柵だ。それが若者の体に映っている。そして、フラッシュバックのように「過去」がよみがえるとき、「過去」は実は「過去」そのものではない。ちょっと変形する。「銀」の静寂は「金」の刺繍にかわる。
 まるで魔法である。

 木の下で馬がいななくとき、私は、その美しさに息を飲む。