「私は帰るわ」と彼女は言った。「帰るわ。これ以上このまま行けないわ。
まあ、ひどい風・・・」。彼はトランプを投げ捨てた。階段に足音が聞こえた。
扉が開いた。細い光が床を打った。
女はトランプを拾い上げて男に返した。
何年もたってから返す手つきだった。
それから花の水を換えた。
だが彼女のことばは部屋の中をブンブン飛び廻っていた
ちょうど冬の初め、部屋に閉じ込められた蠅の跳ね音のように。
*
女と男の、ありふれた情景。日々の1シーン。
女と男がいさかいをする。そして、はっきりした謝罪もないまま、ずるずると和解(?)をして日常にもどっていく。ことばは、はっきりと受け止められないまま、部屋の中に残っている。--このとき、「部屋」は女と男の、「頭の中」であり、また「肉体」でもある。「部屋」と「頭の中」(肉体)は一体になっている。
この悲しみ。
女はトランプを拾い上げて男に返した。
何年もたってから返す手つきだった。
さりげない2行だが、この部分が、この詩のいちばん美しい部分だ。「手つき」がことばにならないことばなのだ。ひとは、ことばだけではなく、肉体の「動き」でも「意味」をつたえる。
彼女は、しかし、その「手つき」だけでは、うまく「日常」にもどれない。だから、
それから花の水を換えた。
「日常」での繰り返しを、繰り返す。繰り返すことで「日常」へと自分を戻す。けれども、それだけではまだ不十分なのだろう。ことばは、言ってしまったことばは、なかなか消えてくれない。だから、悲しく、切ない。
短く切られたことば、短文の積み重ねが、孤独を浮き彫りにしている。
この詩も、映画や芝居で見てみたい。読むのではなく、見てみたい--という気持ちにさせられる。リッツォスはとても視覚的な詩人である。
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