リッツォス「証言A(1963)」(15)中井久夫訳 | 詩はどこにあるか

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夢遊病者ともう一人と   リッツォス(中井久夫訳)

夜中じゅう眠れなかった。頭上の屋根を歩く
夢遊病者の足音を追いかけた。一つ一つの足音が
彼の中の虚ろにはてしなく木魂した。
ずっしりと重い、押し殺した足音だった。
彼は窓のところに立って、落ちて来たら掴まえようと待った。
だが、奴の墜落に彼が巻き込まれたのか?
壁の上を走った鳥影か? 星か? 彼か? 彼の手じゃないか?
暁、石畳の上にどさっという音がした。
窓が開く。近所の人が走る。夢遊病者は暖炉の煙突を走り降りる、--
窓から墜落した男を眺めようとして。



 この詩はよくわからない。
 「夢遊病者」とその足音に困惑している「彼」が描かれいてるように見える。さまよい歩く夢遊病者の足音に苦しんでいる彼が、なんとか夢遊病者の足音をとめようと躍起になる。窓の近くにくるのをまって、その足を掴もうと思っている。そして、その幻をつかんで、彼は石畳の上に落ちてしまう。夢遊病者は生き残り、彼は死んでしまう。--そういう「ストーリー」をもった作品だろうか。

 どうも、違うような気がする。

 私は次のように読みたい。
 夢遊病者は自分の足音に苦しんでいる「彼」を夢見ている。きっと彼が自分の足をつかんで、それがきっかけで、自分は石畳に落下して死ぬ。それが夢なのに、「彼」は夢遊病者の足を掴み損ね、空気を掴み、そのまま石畳に落下してしまう。自分をつかまえてくれる「彼」、夢のさまよいから救い出してくれる「彼」を失い、まださまよいつづけなければならない。
 --そういう夢に夢遊病者は苦しんでいる。
 この夢は、循環する。途切れない。そういう苦しみがここに描かれている。

 これはいわば「錨」とはまったく逆の苦しみである。悲しみである。共通するのは、どちらも孤独である、ということだ。「不在証明」の「彼女」も孤独だった。リッツォスは人間の孤独をドラマにして描く。劇的なことがらのなかで、人間は、いっそう孤独になる。

壁の上を走った鳥影か? 星か?

 この部分に、私のこころは震える。涙が出るくらい好きな部分だ。





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