彼は呟いた、「投錨!」と。しっかり固定する意味ではない。
海底とは関係ないのだ--そういうことじゃなくて。
錨を自室に運んで天井から釣り下げた。
まるでシャンデリアだ。さて、夜中になった。
仰向けにねて、天井のまん中の錨を見つめた。
彼は承知していた。錨の鎖が垂直に屋根を破って上に延び、
頭上はるか、彼方の高み、静かな、ある表面に
灯を消した暗く大きく堂々たる軽快艇が繋留されていた。
貧しい音楽家が一人、その艇の甲板で、
バイオリンをケースから取り出してひき始めた。
下にいる彼は何かを待つような微笑みを浮かべつつ
水と月とに濾されて響いてくるメロディーに聴き入った。
*
これは非常に美しい詩だ。リッツォスの空想は具体的なものからはじまり、どこまでも広がっていく。天井の錨は、「不在証明」の「皺」に似ているかもしれない。「皺」は「はしご」になった。「錨」は「錨」のままだが、その先に、鎖を、水面を、そして船を(艇を)引き寄せる。
この自然な空想の上昇は、しかし、よく考えると「彼」自身を深く海底へ沈めることである。沈むほど高くなる海面。深くなるほど遠くなる海面。--というのは物理の世界で、遠くなるほど(海底が深くなるほど)、「彼」と「水面」(艇)は固く固く結びつく。その象徴、その空想の交わる一点が「錨」である。
海底に深く深く沈みながら、「彼」の空想は、船(艇)をのぼり、甲板にのぼり、月さえ見つめる。
海底に音楽はない。沈黙の世界である。(彼の部屋にも音楽をつたえるもの、たとえばラジオはないのだろう。)しかし、空想は音楽を引き出す。沈黙のなかにふりそそぐ音楽。--これが、とてもきれいだ。「水と月とに濾されて響いてくる」--この空想の至福。ほんとうに美しい。
そして、悲しい。
なぜなら、彼は「承知して」いるからである。「空想」を承知しているからである。それは幾度となく繰り返された空想なのである。繰り返すことで、空想が沈黙に研磨され、透明になっていったのだ。
この作品の1行目。「彼は呟いた、」を、中井久夫は、最初「叫んだ。」と訳出している。ワープロの「叫んだ、」を見せ消ちにしたまま、「呟いた、」と書いている。この「叫んだ、」と「呟いた、」の違いは非常に大きい。この空想がきょうはじめての空想ならば「叫んだ、」である。声はどうしても大きくなる。でも、何度も何度もくりかえしてきた空想ならば声は大きくはならない。声に出す必要もなくなる。--じっさい、彼はほとんど声を出していないのだ。ずーっと沈黙している。沈黙したまま、自分の部屋を深い深い海底だと思っている。
この悲しみには、たしかに透明な音楽が必要だ。
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