おもしろい部分と退屈な部分が交互に出てくる。いいなあ、、と思う部分だけを抜粋してみる。
ある日を機に
サカナが我が家に押し寄せてきた
冷蔵庫の中は満杯になった
ドアを開けるたびにサカナが笑っている
(略)
夜寝ていると潮の匂いがしてくる
(略)
誘ったわけでもなく
誘われたわけでもないのに
サカナと暮らしはじめた
ただ思うにサカナは湿っぽくない
人付き合いも悪くない
時々懐かしそうな目をするから
誰かを思い出すが誰だかわからない
(略)
ちかごろは
サカナののうのうが
わたしにも移ってか
なんだかのうのうと
明け暮れしているわたしがいる
(略)の部分には説明が入っている。福間にしてみれば(略)の部分こそ書きたいのかもしれない、とも思う。
「誰かを思い出すが誰だかわからない」の1行のあとは、ずーっと誰だかわからないままでいてほしいが、福間は種明かしをしたいようで、「誰か」を書いてしまう。そのヒミツ(?)にこころを動かす読者もいるかもしれないが、私はにはわからないままの方が楽しい。
誰かが誰かわからないまま、サカナの実感が「わたし」をつつみこんでしまう。「わたし」がサカナになってしまうということは、たぶんそういうことではないのか。最後は「のうのう」とサカナになってしまうのだから、「誰か」など思い出す必要はないのだ。「誰か」につながる、さらなる「誰か」なんて、さらに必要がない。
どうせつながるなら、その「誰か」は会ったことのない「誰か」でないと、詩にはならない。