川野圭子「淋しい牛」 | 詩はどこにあるか

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川野圭子「淋しい牛」(「Griffon 」22、2008年06月30日発行)

 川野圭子「淋しい牛」は後半がおもしろい。

ドアを開けると
何と牛が押し入ってきたのだ

淋しい淋しい と長いまつげの目が言うので
すこしならいてもいいよ と言ってやったら
なけなしのわたしの絨毯の上に
いっぱいになって 横たわった

淋しい淋しいが止まらないので
大きなまっ黒い頭を抱いて寝た

わたしのかたわらの牛の目は
見れば見るほど大きくて
奥山の沼さながらで
青黒い水を溜めていた
とめどなくあふれるものを一晩中
バスタオルで拭いつづけた

 「バスタオル」がいい。「牛」が何の比喩なのかわからないが、「バスタオル」によって「牛」が比喩から牛そのものにかわる。牛の頭は大きい。目も大きい。牛が涙を流すなら、それを拭くのはハンカチや普通のタオルでは間に合わないだろう。たしかにバスタオルが必要なのだ。