石倉宙矢「かぞくてんせい」 | 詩はどこにあるか

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 石倉宙矢「かぞくてんせい」(「現代詩手帖」2008年07月号)
 「新人作品」欄。瀬尾育生が選んでいる。1連目。

よしこや
おかあさんもうわらいますからね
おまえも
いつまでもおこってないで
はやくわらいなさいよ
おとうさんならもうさきにわらっています
だからわたしもわらいます
おまえも
いつまでもがをはらずにわらいなさいね

 4連で構成されていて、構造は「よしこ」「おかあさん」「おとうさん」の繰り返しで、「行為」の時間系列も同じ。「よしこ」の「現在」を「おかあさん」がたしなめる。「おとうさん」は、もうその「こうい」をしている。
 どの連もそれぞれにおもしろいが、繰り返されることで、不思議なことに「もう終わり?」という印象が生まれる。いったい何連この調子で書くことができるのかわからないけれど、この先が読みたい、という気持ちになってくる。それは言い換えれば、この先をちょっと書いてみようかな、という気持ちにさせられるということである。

 詩に限らないが、どんな芸術でも、それにふれた瞬間、あ、こういう方法があるのか、これをちょっとまねしたいなあ、と思わせる作品はいい作品である。「これくらいの作品なら私にも書ける」と思わせる作品は、とてもいい作品である。
 石倉のことばは、ちょうど、その「これくらいの作品なら私にも書ける」と錯覚させることばの量で終わっている。4連という長さは、この作品には最適である。




現代詩手帖 2008年 07月号 [雑誌]

思潮社

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