監督 ジョー・ライト 出演 キーラ・ナイトレイ、ジェームズ・マカヴォイ、シアーシャ・ローナン、ヴァネッサ・レッドグレーヴ
この映画には、いくつか不思議な映像がある。
ひとつは、キーラ・ナイトレイがこわれた花瓶の一部を噴水のある池に飛び込んで拾い上げるシーン。なぜか2回繰り返される。ただし、その2回はまったく同じではない。私の見間違えかもしれないが、1度目は濡れた下着を通してキーラ・ナイトレイの恥毛が見える。2度目は見えない。
もうひとつは、ジェームズ・マカヴォイがキーラ・ナイトレイにあてた手紙を、シアーシャ・ローナンが読むシーン。部屋の中央、天井から光が降ってきている。その中央までシアーシャ・ローナンがつつつっと走り、ぴたっと停まる。そして手紙を読む。映画の人物の動きと言うよりは舞台の上での動きである。舞台なら美しく見えるが、映画のなかでは違和感がある。リアリティーがない。
なぜ、こんな不思議なシーンがあるんだろう。
ほかにもキーラ・ナイトレイの手とジェームズ・マカヴォイの手がそっと確かめるようにふれあうシーン、キーラ・ナイトレイがジェームズ・マカヴォイに「帰って来て」と耳元でささやくシーンなど、わざとメロドラマ風に撮ったシーンがある。
なぜだろう。
疑問は、最後になって解ける。
この映画は実際にあったことを、作家が小説にした。実際にあったことと、小説に書かれた世界が映画のなかで繰り返されているのである。実際にあったことと、小説に書かれたことは少し違う。実際にあったことそのままでは、主人公たちが救われない。主人公たちに、せめて小説のなかだけでも幸福な時間を与えたい--そう思って作家が脚色したのである。
少し文学的すぎるというか、構造がメタ映画になっており、私はこういう作品は嫌いなのだが、この映画に限って言えば、とてもいい印象を持った。最後の最後になって、あ、こういう美のあらわし方があるのか、と正直驚いてしまった。
そして、この最後の最後を支えるバネッサ・レッドグレープの演技に感激してしまった。バネッサ・レッドグレープは「ジュリア」でのジェーン・フォンダとの再会シーンがすばらしいが、それと同じように、「眠りにつく前に」のメリル・ストリープとの再会のシーン、そしてこの「つぐない」でのテレビインタビューのシーンもすごい。ほとんど動きのない演技なのに、ひきこまれる。ことばを語るときの表情の一つ一つが真実になっている。ほんとうに名優だ、とつくづく思った。バネッサ・レッドグレープの声と顔によって、彼女が登場するまでのシーンが全部、もう一度、記憶のなかに甦る。まるでバネッサ・レッドグレープが過去を思い出しているそのままのように。そして、そのとき「つぐない」という意味がくっきりと浮かび上がるのだ。