入沢康夫と「誤読」(メモ43) | 詩はどこにあるか

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 入沢康夫『夢の佐比』(1989年)。
 「夢の錆 あるいは過去への遡及」「夢の錆 遺稿群」のふたつの部分から構成されている。最後に「付記」があって、それには次のように書いてある。

 「佐比」は「●」(利剣)であり、「鋤」であり、「荒び・寂び」であり、とりわけここでは「錆」である。
               (谷内注・●は原文は「金偏に且」、すき。)

 まるで、この付記のために詩集全体が書かれている、という印象がある。「佐比」が「錆」である、と言いたくて書かれた詩集という印象がある。

 私は「佐比」の出典を知らない。そして、ただ想像するだけなのだが、入沢はある文献で「佐比」ということばに出会った。それは「さび」と読むのではないのか。「錆」なのではないのか、と思ったのではないのか。文脈からすると、するどい刃物(剣)のようである。何かを耕すものでもあるらしい。--しかし、その耕す(あるいは切る)ということと、「錆」はどこかで通じているのではないのか。「耕す」ということは、土を豊かにすることだ。豊かにするということは、それはそのままでは豊かではないということだ。いわば「錆」ている、つかいものにならないということと、どこかで通じているのではないのか……。あるいは逆に、「耕す」--すると、そこは一瞬は豊かになるが、何かを生み出したあとは「耕す」前よりも貧しくなる。荒んでしまう。寂しいものになる。「錆」びてしまう……。(たぶん、あとに書いた方が入沢の考えに近いように、私は直感的に感じる。)
 ということは、もちろん、この詩集には書かれてはいない。入沢はそんなふうに感じた、思ったとは書いていないけれども、私はなんとなくそんなことを想像してしまった。

 詩集のなかでもっとも印象的なのは、書き出しである。

薄暮の背広に包まれた肉質の悪夢 随所に踞る消炭の行
路標識 季節の裂け目にうづたかく積つて行く綿埃 再
会した二人の友 前世の友のあひだを 走り抜けるまつ
白な雉の幻 この雨がちの箱庭の中で そこだけが深々
と燐光を放つてゐるidの井戸
 (谷内注・「踞る」は原文には「うづくま」るとルビがついている。)

 「id」。精神の奥底にある本能的エネルギーの源泉。「源泉」であるから、それはすでに「井戸」なのだが、それにさらに「井戸」と繰り返す。繰り返すことで、ことばをはがす--耕す。
 「裂け目」「再会」「前世」。「再会」には「裂け目」がある。「前世」にも、「前世」と「いま」という「裂け目」がある。「裂け目」とは断絶であり、それは接合(再会)によって明確になる。断絶と接合は切り離せないものである。「耕す」とは、そういうことかもしれない。何かを耕すことは何かを断ち切ることであり、新たな接合を演出することである。そして、その新たなものもやがて古びていく。
 「佐比」(鋤)と「錆」のあいだには果てしない循環がある。

 「id」の「井戸」。覗き込んで、そこに見えるのは「わたし」の姿である。深く深くのぞけばのぞくほど、それは「わたし」に近くなる。何か、そういう物もある。

 この詩、「夢の錆」は、不思議な具合に展開する。たとえていえば「歌仙」のように展開していると私には感じられる。ある結末が設定されているのではなく、最初に提示されたことば(1連目)はそれ自体で独立している。2連目は1連目を受けてはいるけれど、1連目の延長にあるのではない。古い土地を耕し新しい植物を植えるように、何か新しものが展開していく。
 そして、それは入沢が付記で書いていた「佐比」から「鋤」「荒び・寂び」「錆」への移行のように、何か少しずつずれていくという感じでもある。

 「歌仙」のとき、参加者は必ずしもその場の「現実」を句にするわけではない。古典を引用したりもする。そこで問題になっているのはことばの運動と、ことばの共有である。あるいは「文化」の共有であり、「誤読」の共有である。
 そういうことを、入沢はひとりでやっている。「句」ではなく、数行の「詩」を組み合わせることでやっている。
 そんなふうにして、私はこの詩集を読んだ。