カルロス・ソリン監督「ボンボン」 | 詩はどこにあるか

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監督 カルロス・ソリン 出演 フアン・ビジェガス 犬(ボンボン)

 失業中のおじさん。手作りナイフを売っているが、売れない。このおじさんの、現実を受け入れ、しようがないなあ、どうしようかな、というちょっとさびしい顔、ほんの少し遠くを見るような目が、なんとういうか、おもしろい。引きつけられてしまう。
 このおじさんが、ふとしたことで犬(ボンボン、猟犬らしい)を手に入れる。血統書付きの立派な犬だが飼い主が死に、ぼんやりと生きている。この犬をめぐって物語は進むのだが、その物語の出発点、古ぼけた車の助手席にきちんとお座りしてのっているボンボンが傑作である。おじさんよりほんの少し大きい。それがまっすぐに前を向いている。思わず笑ってしまう。顔が似ている。目が似ている。まっすぐ前を向いてはいるが明確な目的があるわけではない。生きていくんだという強い決意があるわけでもない。どうなるんだろう。どうにかなるだろう、なるようになるさ、と思わずにはいられないさびしさのようなものが漂っている。おじさんは、そうした雰囲気を感じ取り、ちょっと横目でボンボンを見る。そうするとふたり(?)はますます似てくるのである。劇場で、私はほんとうに大声をあげて笑ってしまった。(ほかのお客さんは笑わなかったが。)
 ボンボンは血統書付きの立派な犬である。おじさんはその立派さに気がつかないが、犬好きの人がそれに気づく。銀行の支配人(?)がまず気がつく。手厚くもてなし、いろいろな人を紹介する。そのひとづてで、ボンボンはドッグショーに出場する。部門別で優勝し、全体でも3位に入ってしまう。犬といっしょに、おじさんの人生はどんどん登り調子。浮かれ、同時に、こんなことでいいのかな? というためらいもみせる。
 この入賞を境に、おじさんの人生はちょっと分裂する。そこがなかなかおもしろい。ボンボンの方も人生がちょっと狂ってくる。そこがなかなかおもしろい。
 名犬は種付けをして金を稼ぐ……はずであった。ところがボンボンにはその気がない。ヒート中の相手に会っても興味がわかない。で、お金を稼げない。仕方なしにおじさんはいったんはボンボンと別れて暮らすことになる。ところが別れてみると、ボンボンといたときの楽しさを思い出し、さびしくなる。
 「恋人と同じように、別れたあとで大切さがわかる」
 などと、ちょっと気を寄せる歌手に言われて、いてもたってもいられなくなる。あずけた先へ行ってみるとボンボンは逃げたという。
 おいおい、大事な大事な犬なんだよ。どうしてくれる。とは言わず、おじさんはひとりでボンボンを探しまわる。
 そして。
 煉瓦工場の積まれた煉瓦の背後。犬の声がする。行ってみると、ボンボンが交尾している。後尾されながら雌イヌが甘い声を出している。おじさんはそっと背を向け、後尾がおわるのを待っている。
 そして。
 再びボンボンがおじさんのとなり、助手席に座っている。前を向いている。じっとしている。その顔が、なんというんだろう、やったぞ、というように誇らしげである。おじさんも、よかった、よかった、とよろこびにあふれた顔をしている。これがまたまた傑作なのである。
 人生の大成功の転機、というほどではない。しかし、ここから人生が変っていく。そんな、ほんわかした感じのよろこびが車を走らせる前にひろがっている。道はまっすぐ。いいなあ、この解放感。充実というのではなく、解放感としかいいようがない明るさ。