斎藤恵子「みずうみ」、川邉由紀恵「母の物語」 | 詩はどこにあるか

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 斎藤恵子「みずうみ」、川邉由紀恵「母の物語」(「どうるかまら」2、2007年05月31日発行)。
 「どうるかまら」2号の作品群には「水」がたくさん登場した。そして、そのどれもが魅力的だった。
 斎藤恵子「みずうみ」の書き出し。

みずうみのふちがやわらかくなっている
今夜から水かさが増して移動してくるのだった

 1行目がとりわけ魅力的だ。「ふちがやわらかくなって」が、やがて現実と夢の「ふちがやわらかくなって」、夢に浸食されてゆく。そして、浸食されながら、浸食によってかわってゆく世界をなつかしさとともに受け入れてゆく。そのときの感じが水のように静かにあふれてくる。
 末尾。

だれかが帰ってきたにちがいない
曾祖母に逢えるのだ

 「逢えるのだ」。再会によって世界の厚みが増してくる。水嵩のように。その感じが、ていねいでとてもいい。



 川邉由紀恵「母の物語」。

蔦やかずらが手をのばして 屋敷の石垣にからみつき 庭
木は小路までしだれています 深いひさしにおおわれた海
の底 のような屋敷に 母はひとりで住んでいます 母は
毎日たまごをたべます 魚やかえるのたまごです

 「海の底」。このことばの登場によって「魚」が自然になり、「たまご」も自然になる。「たまご」はその後変容してゆくが、「海の底」、水の厚みが「屋敷」全体をのみこみ、外部へと浸食し、外部を受け入れ、さまざまなものを生み出す。しかし、あいかわらず「屋敷」は「海の底」。永遠にそのまま、という感じが「日常」そのものの不思議さをあぶりだしているようで、その静かな感じがおもしろい。