「泡尻鴎斎といふ男」(谷内注・「鴎斎」は原文は正字体)よりもさらに作為に満ちているのが「熊野へ参らむと--大岡信に」、「蟻の熊野・蟻の門渡り--すべてが引用からなる本文と、註と、付記による小レクイエム」である。
前者と後者の関係は、後者の「付記」に次のように書かれている。
「引用による本文」と「註」からなる本篇の構成と配列の根拠を成すものは、前出「熊野へ参らむと--大岡信に」である。
この創作過程はとても奇妙である。『かつて座亜謙什と名乗つた人への九連の散文詩』のように、まず「完成品」があって、それから「完成品」ができあがるまでを「捏造」していったような形になっている。
あらゆることばは出典(本歌)を持っている。出典をもたないことばなど、どこにもない。ことばは、他人が話しているのを聞いて覚える。他人がつかっていることばのなかへ、他人のことばをつかって参加していくという以外に、ことばの使用方法はないからである。
「熊野へ参らむと--大岡信に」の第1行、
枯あらす 枯らす
と入沢が書いたとき、彼の意識に
かぁらす、鴉、勘三郎。
あの山火事だ。 (童謡)
がふとよぎったとしても、それをわざわざ「出典」という必要はないだろう。あることばを思い付いたとき、そのことばがどこからきているかを、わざわざ克明に説明する必要はないだろう。
というよりも、そんなことが人間にできるだろうか。
たしかに、いま引用した「童謡」の類なら、まだ、「出典」を即座に明記できるだろうけれど、ある本のなかからインスピレーションを受けている、それはこの部分であるということをひとつひとつ克明に明示することは、大変な困難をともなう。
入沢は「古事記」「日本書紀」「梁塵秘抄」などから、その箇所をひとつひとつあげているのだが、こうした「引用」箇所をひとつひとつ数え上げ、抜き出すという作業は、私には労力の無駄としか思えない。読者が、あ、これはもしかしたら「古事記」を踏まえているのだな、あの部分だな、と思えばそれで十分なことであって、入沢がいまつかったことばが「古事記」に準拠しているなどといちいち考えても、何も理解したことにはならないだろう。
「引用」のなかには、たとえば
唐辛子、羽をつければ赤蜻蛉。(出所忘失)
というようなものもある。1970年代、歌謡曲、コマーシャルソングに流れていたことばだが、それはもちろん歌謡曲を歌ったひとの「オリジナル」ではない。昔からある歌である。「出所忘失」もなにも、「出所」というべきものなどないのである。
これはたとえば、ブッセ、上田敏訳「山のあなた」の引用、出所明示も同じである。ひとの口に上って久しいものに、わざわざここから「引用」しました、と言っても無意味である。言う必要がない。
「唐辛子」「山のあなた」の引用が、出所を言う必要がないと同様、他の引用も言う必要がない。引用と引用したことばのあいだには何の関係もない。たまたまことばがそこにあったというだけである。出典の「思想」を踏まえ、それを引き継ぎ、発展させているわけではないからだ。
それなのに、なぜ、入沢は出所を明示しているのか。
ことばはかけ離れた「場」、たとえば「古事記」ということばの「場」と入沢の作品ということばの「場」において、同時に存在しうるといいたいからである。関係があろうがなかろうが、同時に存在しうる。同じことばだから、その「無意識」をさぐっていけば何らかの脈絡はあるかもしれないが、そんなか細い脈絡など、「妄想」である。そこに「脈絡」を見出すのは「誤読」である。
ことばは「出所」と無関係に存在できる。したがって、「出所」と無関係に「誤読」できる。「正しい解読」と「誤読」は同時に存在しうる。そういう可能性を、入沢はここでは証明している。その証明のためだけに書かれているのがこの作品だ。
「同時」ということが、ある意味ではこの作品の重要なことがらかもしれない。
先行する「熊野へ参らむと--大岡信に」、その「構成と配列の根拠」を示す「蟻の熊野・蟻の門渡り--すべてが引用からなる本文と、註と、付記による小レクイエム」は、前者が先に書かれ、後者があとから書かれたのではなく、たぶん同時に書かれたのである。同時でなければ、こんな詳細な「引用」の明記など不可能である。前者のことばが、その意識の奥にどんな先行作品、その作品のどの部分を踏まえているかなど、書くことは不可能である。
不可能なものを、わざわざ別個の時間に書かれたかのように入沢は装っている。入沢は、いわば嘘をついてまで、あらゆることばは出所とは無関係に、かけ離れ「場」で「同時」に存在しうるといいたいのだ。
そのかけ離れた「場」を結んで「誤読」するのも楽しい。あるいはかけ離れた「場」を絶対に結びつけない形で「誤読」するのも楽しい。いくつもの方向へ、入沢は読者を誘っているのだといえる。