豊原清明「惑星に十一月」ほか | 詩はどこにあるか

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 豊原清明「惑星に十一月」(「火曜日」89、2007年02月28日発行)
 1連目がとてもおもしろい。特に次の部分。

空は雲の反乱
ぶっつかる人と人
白いノートに書く言葉がみつからず
絶滅した恐竜たちに
そっとありがとうさんと呟いて
父が入れてくれたコーヒーを
啜りながら

 ことばの動きが自在である。動くたびに世界が「枠」を取り払われ自由になる。突然ひろがる。「言葉がみつからず」と豊原は書いているが、ことばがみつからないというよりは、ことばが「未生」の世界が、そこでうごめいている感じがする。
 「いのち」を感じる。



 小池田薫「しあわせですか」(「笛」239 号、2007年03月発行)。
 
窓を開けると冬が入ってきた
息がしろい
首筋から体温をうばわれて
指先が冷たい

おんなはふしあわせを食べて生きてきた

しあわせですかと尋ねる人がいて
ふしあわせとこたえる方があたりさわりがないけれど
ふしあわせはしたたかで
嘘を本当にしてしまう

 「したたか」ということばはこんなふうにつかうのだ、と教えられた気持ちになる。「あたりさわり」も同じである。ここには新しいものはないかもしれない。そのかわりに生活をくぐりぬけてきた時間のつやのようなものがある。
 それに先立つ冬の描写、その肉体とのかかわりがとても自然で、「しあわせですか」からの行と静かに呼応している。
 詩のあたらしい可能性があるというわけではないけれど、こういうことばの落ち着きは読んでいてほっとする。