監督 イシュトバン・サボー 出演 アネット・ベニング、ジェレミー・アイアンズ
映画を見ていて「おいおい、ほんとうに脚本を読んでいるのかい?」と言いたくなる演技にであうことがある。へたくそ、というのではない。うまいのである。たとえば「SAYURI」の役所広司。さゆりにいいように利用されて捨てられる。そういう恋の結末なのに、そんな結末など知らない感じで、さゆりはもしかしたら自分のことを好きなのかもしれないと心をときめかせている。脚本を読んでいれば捨てられることがわかるのに、そんな純情な男をやっちゃって……、と笑いながら、同時にほれぼれする。手抜きがないのである。こういう役者が私は大好きだ。
アネット・ベニングは中年の女優。今は演技にも人気にも少しマンネリ感が漂う。その女優が、その名声が、若い野心家の青年にいいように利用される。最後は青年とその恋人を踏み台にして花を咲かせるのだが、青年にいいように利用されて、それでもうきうきするという演技がなかなかおもしろい。まるで青年との恋が永遠につづくと信じてしまっている初な輝きにあふれている。まわりの人から好奇の目で見られるのだが、人から好奇の目で見られるなんて最高--というような、一種、我を忘れた状態をいきいきと演じている。
やがては青年に捨てられる、ということは、すでにこうした演技のありようから推測できるのだが、そういう推測をさせながらも、「おいおい、ほんとうに脚本読んだの? 最後は捨てられると知っていて、それでも恋に夢中になる演技を、こんなふうに、初に、まるで永遠につづくと信じている心そのものとして演じるのかい?」とチャチャを入れたくなるくらいなのである。
ストーリーは波瀾万丈というか、逆に言えば、お決まりどおりの展開なのだが、その展開にあわせてのアネット・ベニングの七変化が、とてもおもしろい。映画で役を演じているのだから、結末がどうなるか完全に知っている。知っているのに、まるで結末を知らないかのように、その一瞬一瞬を浮かび上がらせる。こういう演技を見ていると、そうか、役者というのは「結末を知らない」と観客に信じ込ませる力をもった人間なのだとわかる。人間観察力だとか存在感とか、いろいろ役者を評価することばはあるけれど、「結末を知らない」と感じさせる力が一番大切なのだと思う。結末はどうなるかわからない。いま、そのときの一瞬だけが真実であり、それがどうなるかは誰も知らない。それがリアリティーというものなのだ。
最後の舞台劇(劇中劇)が、とてもおもしろい。アネット・ベニングは映画のなかで「芝居」を演じている。恋のコメディーである。そこにはもちろん「結末」がある。「結末」へ向けて、「芝居」の共演者は演技をしている。最後の最後で、アネット・ベニングはアドリブで「結末」を変えてしまう。共演者は真っ青。何がなんだかわからない。脚本家も演出家もはらはらどきどきする。脚本のなかの「結末」を知らない観客だけが、いま起きていることがストーリーなのだと信じて、その「芝居」にのめりこむ。
このどんでん返しは、とても、とても、とてもおもしろい。芝居、演技の本質を巧みに指摘している。芝居、劇、映画、ようするに「見せ物」というのは、ストーリーなど関係ないのである。どんなことだってストーリーになってしまう。ストーリーは自然にできあがってしまう。大切なのは、ストーリーがストーリーであることを否定してしまう(忘れさせてしまう)演技なのである。時間の流れを分断し、「一瞬」という時間へ観客を引き込む力なのである。「一瞬」のなかで、観客はストーリー、予定調和の物語を忘れる。純粋に、命そのものの輝きに触れる。
どんでん返しの「芝居」のなかで、アネット・ベニングは若い女優に対して「あんたなんか、まだまだ私にかないっこないのよ」ということを見せつける。いわば「地」を出しながら、その「地」をストーリーにまぎれさせて観客をひきずりまわす。若い女優を裸にし、「地」を出させ、「地」と「地」で勝負する。それがそのまま「恋の勝負」そのものに急変する。観客は「恋の勝負」というストーリーのなかで、実際の「恋の勝負」あるいは女優生命をかけた勝負が展開されていることを知らず、ただ、その「真剣勝負」に引き込まれる。「真剣」こそが観客の視線を集中させる力なのだ。そういう意味では、観客の視線を集中させるできごとそのものが、ほんとうのストーリーだということができる。そして、観客の視線を集中させる「顔」そのものがほんとうのストーリーだと言い換えることもできる。映画スターが美男・美女でなければならない理由はここにある。普通の人を超越する「顔」の特権で、傍若無人に振る舞い、人生をかき乱してゆく--それがスターの特権であり、そういう特権こそが観客を引きつけるのである。
アネット・ベニングは私にとっては「美人」ではなかった。矯正でつくりあげたような歯並びが不自然で、好きではなかった。けれど今回の映画で、あ、美人だと思った。特に、最後のどんでん返しの「ざまをみろ」と勝ち誇ったような演技が絶妙で、うわーっ、美人だと引き込まれた。役者の演技力というのはすごい。