映画「美しい人」 | 詩はどこにあるか

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監督 ロドリゴ・ガルシア 出演 シシー・スペイシク、グレン・クローズ、ホリー・ハンター、ロビン・ライト・ペン

 原題は「9のいのち」。猫は9回生まれ変わる、という諺からとっていることが最後にわかる。原題の方がわかりやすくていい。
 女性は9回生まれ変わってもなお「失なったもの」のために悲しみを抱えている。その悲しみを9人の女優が一瞬の演技力だけで見せる。大好きな大好きなシシー・スペイシクは最初別の話で脇役で出てきたので、え、これだけ?と思ったけれど、ちゃんと「主役」をやっていたので一安心した。
 シシー・スペイシクが演じた不倫モテルの部分に、この映画のキーワード「失なったもの」が象徴的に描かれている。別の部屋の女性が逮捕される。警官が女性の荷物をまとめて持っていく。そのときシューズが片足だけ置き忘れられる。「失なったもの」はその片足のシュー(あたりまえだが、「シューズ」とは発音していなかったのが、なぜか新鮮に聞こえた)のようなものだ。人生全体からみれば(あるいは他人からみれば、といってもいい)、それは取るに足りないものである。だが、当人にとってはそれがあるとないとでは全然違う。そのことを警官は気がつかない。しかし、シシー・スペイシクは気がつく。靴を片足なくした女性の悲しみは、また、片方の靴とはぐれてしまった靴の悲しみである。シシー・スペイシクが、その片方の靴を愛撫しながら、ちょっと生き方をかえる。それまで自分の悲しみにしかこころが向いていなかったが、「靴」の方にもこころを動かす。悲しみは彼女ひとりのものではない。だれにも、そしてあらゆるものに共通するものである、というようなことまで考えたかどうかわからないが、ちょっと変わる。そのあたりの演技が絶妙。
 映画も、この7話から少し転調する。
 悲しみを悲しむのではなく、それを受け入れ、同時に、生きていることへの感謝のようなものが丁寧に描かれる。
 最後、グレン・クローズが墓の上に葡萄を置いてかえるシーンはとても美しい。墓地にひろがる光、夕暮れの光が透明で美しい。夕日は悲しいしものだが、その悲しみのなかにもやはり太陽の温かさは残っている。どんな悲しいときでも、温かいものが残っている。それは自分の外にあるときもあれば、自分の内部にあるときもある。
 たとえば第1話の、刑務所での面会の電話が通じず怒りだす母親。その怒る力もいのちの熱さに見えてくる。第2話、昔の恋人とスーパーで出会い、別れる。いなくなった男を追ってスーパーの外へ飛び出す女。そのこころのなかに燃えている炎。熱いものがあるからこそ、悲しみも深いのだが……。第8話は乳ガンの女性の話であるが、ここではあたたかさは彼女自身の内部と、彼女を見守る夫の側にある。夫との交流がおだやかに女のなかの温かいものを自然にあふれださせる。
 9つの話は単に登場人物のかさなりによってつながるのではなく、悲しみと温かさによって深くつながる。それがすばらしい。とても美しい。