ポール・グリーングラス監督「ユナイテッド93」 | 詩はどこにあるか

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監督 ポール・グリーングラス 出演 コーリイ・ジョンソン、デニー・ディロン

 結末がわかっているのに、思わず身を乗り出し、最後は助かるんじゃないか、と思ってしまう。がんばれ、がんばれ、とこころのなかで叫び、テロリストに立ち向かった行動が成功するように祈ってしまう。飛行機が墜落したあとでさえ、これは映画にすぎない、本当は全員助かったのだ、と思い込みそうになる。
 いやあ、びっくりした。
 テロリストたちの祈りのシーンから始まり、空港のざらざらした映像にまるで現実そのものと錯覚してしまいそうだ。臨場感というのも奇妙だが映画を見ているという感じが全然しない。
 映画は、管制のやりとりと、ユナイテッド93の機内の様子が交互に描く。だれもが全体像がわからず、自分にできることを懸命にやる。あ、あのとき管制塔はこんなふうに混乱していたんだ。混乱のなかでこんなに冷静にというか、できることは何かを的確に判断していたのかと驚く。パニックに陥らないところがすごい。混乱しながら、そして貿易センタービルの映像も見ながら、驚愕し、それを現実としてしっかり向き合う。これ以上の混乱を引き起こさないためにどう対処すべきかを考える。それも瞬時のうちに。人間というのは、すばらしいものだと驚く。
 それはユナイテッド93の乗客についても同じだ。恐怖のなかで混乱しながら、電話をつかい情報を集め、何ができるかを探る。彼らだけが、他の旅客機の乗客と違い、乗っ取られた飛行機が何のために使われるかを知っている。出発が後れたために「時差」が生じたのである。そこからがすごい。すばらしい。テロリストとの戦いを決意するだけではなく、乗客同士が助け合い(たとえば携帯電話を隣の人に貸してやるというような、自分にできることをきちんとする)、懸命に生きようとする。人間にはこんなに多くのことができるのかと感動する。勇気というものを通り越して、立派だ。敬服に値するとはこういう行動を指すのだろう。
 この感動が、冒頭に書いたがんばれ、がんばれ、という願いになる。

 ユナイテッド93の乗客たちが、この映画どおりに正確に他のテロリストの行動と結果を把握していたかどうかわからない。たぶん、この乗客の描写には、監督の祈りがこめられているのだと思う。ユナイテッド93の乗客たちは世界を救ったのだと思う。彼等の人間としての意志が世界を救ったのだと思う。もしユナイテッド93がホワイトハウスに突入していたら、アメリカの対テロ戦争はもっと激烈だっただろう。テロリストがいるかもしれないあらゆる場所を壊滅したに違いない。そしてテロは今よりももっと激しく、世界各地でおこなわれただろう。

 映画の感想からずいぶんずれてしまったかもしれない。しかし、そんなことを思わず考えてしまう、感じてしまう映画だった。



 映画そのものにもどれば、リズムがすばらしい。映像のざらざらした感じもリアルで衝撃的だ。無名の俳優をつかいきった監督の技量がすばらしい。
 管制塔の状況を克明に再現したところがすばらしい。「プレインズ、と言っている。複数だ」というテープの分析の冷静さをあぶりだしたところがなんともすごい。管制官が雑音とも思える音を克明に聞き取っている様子を再現したところがすばらしい。
 何よりも遺族の証言をもとにユナイテッド93の内部を、あたかも実際に見てきたかのように再構成する想像力がすごい。そして、その想像力の根底に、人間の行動力への信頼をすえていることが見事だ。
 ユナイテッド93の機内で起きた実際のことはだれも知らない。生きている証言者はだれもいない。それなのに、この通りのことが起きたのだと信じ込まされてしまう。信じたくなる。人間を信頼し、愛している監督の視線に感動してしまうのだ。