小松弘愛「せんだく」 | 詩はどこにあるか

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 小松弘愛「せんだく」(「兆」129)を読む。

 坂本龍馬が姉・乙女にあてた手紙の一語をめぐって詩が展開する。竜馬の手紙というのは

……日本(ニッポン)を今一度せんたく(洗濯)
いたし申候……

 この「せんたく」が実は洗濯ではなく、「せんだく」(高知方言で「衣服のつぎはぎ。衣類の修理」ではないのか、というのが小松の見立てである。
 坂本乙女の墓の前に立ち、小松は問いかける。

乙女さん
あなたは あの手紙をもらって
「日本を今一度せんたく……」
の件(くだり)まで読み進めたとき
 汚れがひどくなってきた日本を洗っている姿
 破れ目が大きくなってきた日本を修理している姿
どちらの姿を思い浮かべましたか

乙女さんは
大柄の体をゆすって笑いながら
あれは
龍馬がこれからやろうとしている
日本という国の大修理と思って読みました

 ああ、いい呼吸だなあ、と思う。

 ひとつのことば、ひとつの発見。あるいは誤解かもしれない。どちらでもいい。ここには発見とか、誤解とかを超えた願いがある。「せんたく」を「せんだく」と読み、それを「修理」ととらえたとき、小松は小松ではなく坂本龍馬になる。それも大上段に振りかぶって坂本龍馬になるのではなく、するりと坂本龍馬の内部に入り込んだ感じで変身する。

 この呼吸がとても自然なので、私も坂本龍馬になった気分にひたれる。乙女の墓で乙女と対話した気分になれる。

 最後の余韻というか、余白もすばらしい。

乙女さんと別れ
わたしは
見晴らしのきく所まで登って
十月の風邪に吹かれたあと
 山頂で真っ青な空を見上げればどんな嘘でも許されそうで

歌のようなものを作りながら
山道を降りてきた。

 こういう作品に出会うと、ああ、きょうはいい一日だった、と晴々する。ありがとう。