堀江敏幸『河岸忘日抄』(1) | 詩はどこにあるか

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 堀江敏幸の文章は肌理が細かい。そう感じるのは、たぶん随所にあらわれる表現が深く肉体と結びついているからだろう。たとえば16ページ。朝、まだ目を覚ます前、遠くから聞こえてくるドラムの音。

耳栓でもしているみたいに籠もっていたその連打音はしだいにくっきりと像をむすび、まだ脳と連絡がうまくとれていない内耳を心地よく打ちつける。

 「まだ脳と連絡がうまくとれていない内耳」がとても丁寧だ。音を音ではなく、目覚める前の肉体の感覚として表現する。それは音自体の描写よりも印象深く残る。

 目覚めの前にあれこれ思う部分。(18ページ)

目覚めの水面に鼻先が出そうなところで彼は思う。

 「鼻先」という表現によって、朝の感覚が鮮明になる。目覚めは確かに深い水中から新しい空気を吸いに浮上するようなところがある。