詩はどこにあるか(80) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

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高橋睦郎『語らざる者をして語らしめよ』(思潮社)

 「16」。暴力とは何だろう。何かしら人間を魅了する力がある。

一匹が無数に勝った と 雀躍(こおど)りした
その時だ 無数が一匹に襲いかかったのは
赤裸(あかはだか)の俺を 通りかかった多数が笑った  (39ページ)

 ウサギとサメの戦いにも増して暴力的なのは「多数」の「笑い」である。
 これは「混沌」へ引きずり込む魔の力である。これがあるからこそ「詩」が生まれうる。それまでの「努力」というか「精魂」をかたむけて生成した何かを一気に破壊し、無に引き戻す何か。そうしたものを片目で見つめながら生成は輝きを奥に蓄える。生成もまた暴力であるがゆえに暴力によって(ただし異質の暴力----ウサギとサメの競い合いは同質の、つまりゴールが同じところに設定された暴力であるのに対し、という意味である)破壊される。

後れて来た一人が憐れんで 涙を流した  (39ページ)

 この「涙」がセンチメンタルではなく「詩」でありうるのは、生成の苦悩と暴力がつねに異質なものによって破壊されることを認識しているからである。