詩はどこにあるか(51) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

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寒山(「中国詩人選集5」岩波書店)

 「自楽平生道」を読む。その5-8行。

  有路不通世
  無心孰可攀
  石牀孤夜坐
  圓月上寒山

 「円月」の「円」に「詩」がある。
 「円月」は「満月」である。「満」の方が満ち足りた感じがするかもしれないが、それでは心情につきすぎる。「円」と客観的につきはなすとき、自然と自己とが別個の存在として向き合う。
 このとき「こころ」は一個の自然になる。

 「こころ」が肉体を離れ、一個の自然になるとき、そこに「詩」が生まれる。



 6行目。入矢義高は「わたしは無心だ。だから誰もわたしの心を模索することはできない。」と口語訳している。「攀」の意味の深さを、この訳によって私は知った。