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詩はどこにあるか

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森鴎外「大塩平八郎」(「鴎外選集第4巻」岩波書店)


けふまで事柄の捗(はかど)つて来たのは、事柄そのものが自然に捗つて来たのだと云つても好い。己が陰謀を推して進めたのではなくて、陰謀が己を拉(らつ)して走つたのだと云つても好い。一体此終局はどうなり行くだらう。

 「自然」――このことばとともに、鴎外の、これまで指摘してきたのとは別の「詩」がある。
 ものごとには本質がある。その本質は本質をあらわしながら自然に動く。

 鴎外はそうした「自然」を簡潔に描写する。
 あるいは、「自然」が露呈するように、現実から本質だけを掬い取る。「自然」の論理が「自然」のまま動くように、現実から余分なものを取り除く。

 森鴎外は、現実を描写するというより、現実から余分なものを取り除くために文章を書く。
 私たちは現実に何物か付け加える。思い込みで現実をゆがめていく。ところが、森鴎外は、そうしたゆがみをひとつひとつ引き剥がしていく。そうすると「自然」が姿をあらわし、「自然」にものごとが動いていく。

 ここに「詩」がある。「叙事詩」としての「詩」がある。
 森鴎外の歴史小説は「叙事詩」である。