旅人は待てよ
このかすかな泉に
舌を濡らす前に
考へよ人生の旅人
汝もまた岩間からしみ出た
水霊にすぎない
この考へる水も永劫には流れない
永劫の或時にひからびる
ああかけすが鳴いてやかましい
時々この水の中から
花をかざした幻影の人が出る
「ああかけすが鳴いてやかましい」の一行を読むたびに「詩」を感じる。「詩」とは唐突にあらわれる現実である。しかも肉体に直接響いてくる現実である。
「永劫」などという概念をあざわらうかのように、そうした概念に頭が灰色になってしまうのを笑うかのように、カケスの声に現実に引き戻される。
人があることを考えている。しかし、自然(カケス)はそういうことを配慮しない。西脇が何を考えていようが、そんなことは気にしない。鳴きたいから鳴く。自然と人間とは「情」のつながりがない。「無情・非情」の世界が、唐突にあらわれる。ここに「詩」がある。
多くの詩があるが、私は、この西脇の一行にもっとも「詩」を感じる。