中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(66) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

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 「いつの日かの休日」。この詩は八行。とても短い。しかも「空に雲がいくつか。」のように「○○に○○」という定型でことばがつづいていく。しかし、終わりから二行目で突然この定型が破られる。

一枚の木の葉がきらり光る。

 一枚の木の葉に光がきらり、と訳すことができるはずである。しかし中井は、ここであえて定型を破っている。それは、その直前の「詩に言葉。」がとても強烈だからかもしれない。
 直前の行でつまずく。そこから立ち直るためには「 一枚の木の葉に光がきらり」ではだめなのである。何かしら、動詞が必要なのだ。肉体を動かすことばが必要なのだ。そしてそれは、直前の「詩に言葉。」にも動詞を補え、と読者に要求してくるのである。ほんとうに読ませたいのは「詩に言葉。」それをどう読むか(解釈するか)、「一枚の木の葉がきらり光る。」のように言いなおすことができるかと読者に問いかけてくる。
 しかも、「詩の中で言葉がきらりと光る。」というような「まねごと」ではだめなのだ。これは中井が読者に向けて残した、重大な「宿題」である。