中井久夫集4(みすず書房、2017年09月25日発行)
中井久夫集4の「統合失調症の陥穽」に次の文章がある。
いずれにせよ、血液の選択的供給低下という事態は何らかの中枢神経内の血液分布を制御している機能があることを仮定している。 (70ページ)
わたしは、はっとして、思わず傍線を引いた。「いずれにせよ」。これが中井の思想を雄弁に語っていると思った。
世界の見え方は「複数」ある。「事実」はひとつかもしれないが「真実」は複数である。複数の人間が生きているのだから、それは「複数」になるしかない。中井は、このことを前提として「いずれにせよ」というのである。つまり、「複数」から、そのひとつを選んで生きる。
そのとき、その「ひとつ」を選ばせるものは何か。中井の場合、それは何か。
だからこの陥穽は相当部分が心理的なものであり、決して宿命的なものではないと仮定しておくほうが、その反対の仮定よりもよいだろう。 (72ページ)
「真実」は「仮定」にすぎない。つまり「宿命的」(決定的)ではない。そう「仮定するほうがよい」。
ここには「事実」を自分で引き受ける「覚悟」がある。
「いずれにせよ、私は、これを選ぶ」という覚悟である。
それは同時に、中井以外の人間が、中井とは「反対の仮定」を選んだとしても、その選択を拒絶しないということである。中井の選択に従わせる、ということはしない、ということである。
これは、実際に、私が経験したことでもある。
中井はギリシャの詩人の作品を翻訳している。詳細な註釈も併記している。私はその註釈を無視して、ただ中井の訳(日本語)だけを読んで、私の感想を書いている。だから私の感想は、中井の「解釈」と合致しないことがある。
リッツオスの詩について私が感想を書いたあと、中井がその翻訳の一部を変更したことがある。当然、私の感想も変わる。私が感想を書き換えると、中井が再び翻訳の一部を変更した。私もさらに書き換えた。
『リッツオス詩選集』(作品社、2014年07月15日発行)の編集過程で起きたことである。
これは「いずれにしろ」の「複数の仮定」の「複数」を具体的に提示して見せるということである。リッツオスの書いたことば、「事実」は変わらないが、それをどう読むかはそれぞれの読者によって違う。あらゆる解釈は「仮定」であり、同時に「真実」である。「仮定」「真実」は、いつでも変更が可能である。それは、一種の「交渉」である。中井がしていた別の仕事に関連づけて言えば「治療」ということかもしれない。それは、患者自分自身で生きる方法を探すということに似ている。中井は、それに立ち会う。立ち会うということを中井は選んでいる。
この「交渉」の結果、中井の「真実(解釈/仮定)」と私の「真実(感想/仮定)」は一致したか。一致などしない。中井は中井の「読み方(解釈)」を私に押しつけない。中井の註釈と私の感想を読み比べてもらえばわかるが、そこには「一致」はない。
こんなことで、いいのか。
たぶん、ふつうの翻訳者なら、そういうことを受け入れない。ふつうの出版社なら、そういうものを受け入れない。しかし、中井は、それでいいと言った。
はっきりとは言えないのだが、一緒に本を出そうという誘いが中井からあったとき、私は、「私の詩は、詩の背景を無視している。いわば、誤読だらけだ。中井の翻訳を邪魔することにならないか」と質問した。中井は「詩なのだから、どんな読み方があってもいい。ギリシャ語の詩、中井の訳、谷内の感想を一冊にできれば楽しい」と言った。ギリシャ語の原典を収録するという中井の夢は実現しなかったが、あのときの電話で、中井は「詩なのだから」のまえに「いずれにしろ」と言ったのではなかったか。突然、中井の「声」が耳に読みがえったのである。「いずれにしろ」を読んだとき。
私は、実際に中井と話したことは少ない。だから推測するしかないのだが、中井はふつうの会話のなかで、ときどき「いずれにしろ」に似たことばをつかっているのではないだろうか。それは中井の「キーワード」ではないだろうか、と思ったのである。「キーワード」とは、無意識に、しかたなくもらしてしまうことばであるのだが、そして、だからこそ私はそれを「思想」と考えているのだが。
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