中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(8)
「声」は「死者の声」をテーマにしている。「私を捨てた人」だかけれど、私は思い出す。「ことば」ではなく、「声」を。そしてその「声」には「音調」がある。その「声/音調/音楽」を聞く瞬間を中井久夫は、こう訳している。
わが人生の最初の詩から帰ってくる。
もちろん訳詩なのだから、そのことばはカヴァフィスが書いたものがもとになっているのだが、この一行は、訳詩の「間接性」を感じさせない。つまり、完全にカヴァフィスになって「声」を発している。
それを印象づけるのが「わが人生の最初の詩」。
この「わが人生の最初の詩」とは、いつ書いたものか。「私を捨てた人」に出会う前か、「私を捨てた人」に出会ったときか。出会う前にいくつも詩を書いていたとしても、出会ったあとに書いた詩が「わが人生の最初の詩」である。「私を捨てた人」に出会うことで、カヴァフィスの「人生」ははじまったのだ。
中井久夫の「訳詩」、詩の翻訳者としての人生は、カヴァフィスの詩を訳すことではじまったと私は感じている。
「帰ってくる」ということばも、とても強い。カヴァフィスが「思い出す」のではなく、「思い出す」という意識を超えて、「帰ってくる」。それは、詩人には制御できない何かである。ちょうどインスピレーションのように。詩のように。