中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(6) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

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 「野蛮人を待つ」。いつの時代か。正字が頽廃している。だからこそ、敵が攻めてくる。それを待っているのだが、やって来ない。

「さあ、野蛮人抜きで わしらはどうなる?

 「野蛮人」だから、そこには蔑視が含まれている。しかし、憧れもある。野蛮な力は、破壊する力である。
 その野蛮人と対比される「わしら」。
 「わし」には何か自己卑下の響きがある。そして、それにつながる「ら」にと、十把一絡げの響きがある。
 「私たちはどうなる?」「我々はどうなる?」では、群衆(市民)の印象が違ってくる。
 「わしら」が「無力」をくっきりと浮かび上がらせる。それは「帝国」の無力ともつながる。「帝国」が無力なのか、「国民」が無力なのか。両方である。