「現代詩手帖」12月号(13) | 詩はどこにあるか

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「現代詩手帖」12月号(13)(思潮社、2022年12月1日発行)

 山崎佳代子「旅は終わらない」。一連目、

耳なれぬ国々の言葉たちが
通りすがりの町にあふれ
重い足音と混ざりあい
音楽となっていった
人の列はとぎれず
長旅の叙事詩に
終わりはない

 意味よりも、音よりも、一字ずつ減っていく連の形に目がとまる。そのために何が書いてあったか、印象に残らない。一字ずつの増減は、他の連でも繰り返されるから、これは山崎の狙いである。この形が崩れたら、その乱れが印象に残る。
 それが三連目。

この夢のなかへ
曇りガラスのむこうから
知らない男と女の声がとどく
やっと心が安らいできた、と女
だが、何一つ、解決したわけではない、と男

 突然、「ドラマ」になるのである。これは「わざと」である。そして、この「わざと」は一瞬だから、いい。

 青木風香「お前風俗行くなよな」。「お前」ということばが、ここにはドラマがある、と告げる。でも、それが「風俗行くなよな」ということばで閉ざされると、私は、とても窮屈に感じてしまう。風俗の客になるな、風俗の店員になるな、のどちらを言っているのかわからないが、とても古いドラマ、映画で言うと「赫い髪の女」(神代辰巳監督)の世界だな。四、五十年前の映画だから、いまは、これが新しいのかもしれないが。

自分を大事にしろよ
見栄なんて捨てろよ
二人で旅行にいこう

 これは「わざと」かなあ。「わざわざ」かなあ。私には、よくわからない。どちらにしたって、このことばは、「肉体」を要求している。つまり、「過去」という肉体をもった役者が、「ことば」を隠して肉体をさらけだすときにだけ輝く類のものだと思う。
 なぜだかわからないが、「赫い髪の女」で、女が「このあたり、卵がめちゃくちゃ安い」と怒るように言っていたシーンを思い出してしまう。肉体がそこにあるとき、どんなことばもドラマになる。
 詩は、役者の肉体に頼らず、ことばそのものの肉体を見せるものだ。青木のことばの肉体は、妙に古い感じがする。「わざと」? 

 暁方ミセイ「白椿」。

あなたをわたしが見
わたしをあなたが見

 「見つめ合う」ということばを拒絶しているところが、とてもおもしろい。「見」という単独の漢字が、ふたりの「関係」を象徴している。
 で、これは、こうつづく。

その関係のあいだで生じたものは
流れ流れて
いまごろ春の湊の渦の
永久にとどまる水滴の一瞬です

 意味なのか、イメージなのか、よくわからない。しかし、「あっ」と思う。それが「ことばの肉体」というものだろう。役者がスクリーンに出てきた瞬間、「あ、宮下順子だ、女が出てきた」と思うようなものだ。暁方の詩にふさわしい例ではないが、青木の詩を読んだあとなので、そんなことばが動く。山崎の書いていた女と男も、「赫い髪の女」の世界を生きているのかなあ、と思い出したりもする。
 私はいつでも何かの影響を受けながら、ことばを読んでいる。
 脱線したが。
 この「一瞬」は、最後に、こう言い直される。

白椿に似た
居もしないあなた あなたの気配が
ぽったりぽったりと
曇りの空から
温み 落ちてくる
 
 「白椿」に似ているのは「あなた」なのか、「あなたの気配」なのか、あるいは「居もしない」ということ自体なのか(だから気配というのか)、いろいろ思うのだが「ぽったりぽったり」はそういうことを消してしまって「白椿」そのものになっていく。「温み」にもなっていく。
 この「連続性」は、やはり「ことばの肉体」である。
 「肉体」というのは、手にしろ足にしろ、目にしろ耳にしろ、それは単独で取り出せない。どこかでつながることで「一体」(存在)になっている。こういう「切り離せない感じ」を感じる瞬間が楽しい。裸を見ている感じ。
 こんなことを書くと「セクハラ」と批判されてしまうかもしれないが。
 しかし、私は詩を読む(小説を読む、哲学を読む)というのは、私のことばと他人のことばがセックスすることだと思っているし、セックスの果に自分が自分ではなくなる(エクスタシーに達する)ことだと思っているので、「わざと」「わざわざ」、こう書いておくのである。
 

 

 

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