谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(29) | 詩はどこにあるか

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谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(29)

(私は今ここに)

私は

ここに
いる

どこへ行こうが
動けない
私を

言葉で
リモコンして
言葉の涯まで
連れて行く

そこも
ここ
だろうか

 「リモコンして」の「原形」は「リモコンする」だろうか。「名詞+する」という形で「動詞」をつくる。谷川は、いまはつかわないようなことばもさらりと書くが、こういう新しいことばもさらりとつくってしまう。

 

 

 

 

(そこにいつまでも)

そこにいつまでも
私はいる
地面に木漏れ陽が
落ちて

おもかげは
川音に
紛れ
言葉は薄れて

そこに
独り
立ち尽くし

すべてを
愛でる
私がいる

 「いる」ことが「愛でる」こと。それだけでは足りなくて、谷川は「すべてを」と書いている。「すべてを」は「いつまでも」に通じるだろう。そこには「限界」がない。そして、その中心に「独り」がある。

 

 

 

 

 

(諦め故に)

諦め故に
希みの
滲む

手足と
腹の
温かみが
語を生み

自は
他へと
動き出す

眉の黒
水の透明
唇の赤

 「諦める」のは何が諦めるか。こころか、精神か。「手足」と「腹」、その「温かみ」は諦めない。つまり「語を生む」。「諦める」の反対は「生む」なのだ。「肉体の温かみ」は「語(ことば)」だ。