谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(25) | 詩はどこにあるか

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谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(25)

(問いに)

問いに
答えはなく
いつもの

棚の土偶の
古代の
ほほえみ

日常と
地続きの
朝の
永遠に

安んじて
不可知に
親しむ

 「親しむ」は二連目の「ほほえみ」から始まっている。その「ほほえみ」が「古代」のものならば、「親しむ」という動詞も古代からのものだ。「問いに/答えはない」というのも「古代」から「地続き」の「永遠」だ。

 

 

 


(どこ?)

どこ?
と問えば
ここ

天の下
地の上で

一つ

いつ?
と問えば
いま

岩より若く
刻々に老いて
鬩ぎ合う
人と人

 「岩」という漢字は「若」に似ている。「老」に似ているのは何だろう。石も砂も似ていない。「鬩ぐ」は門構えに「兒」。争うのは「若い」からではなく「幼い(児童)」だからか。幼・若・老。「命は一つ」。

 

 

 

 

 

(なんでもない)

なんでもない
なんでもないのだ
空も
人も

未来のせいで
思い出が消える
行けば海はあるのに

呪文は
魂の深みに
とぐろを巻く

穏やかに
過ぎるのがいい
時は
そして星々も

 「魂」。「ソクラテスの弁明」のなかに「たましい (いのちそのもの) 」という表記がある。谷川がここで書いている「魂」は「いのちそのもの」と言いなおすことができるか。魂を実感できない私にはわからない。