岡田哲也、横手じゅんこ『春は自転車に乗って』 | 詩はどこにあるか

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岡田哲也、横手じゅんこ『春は自転車に乗って』(花乱社、2021年07月21日発行)

 『春は自転車に乗って』は詩画集。詩を岡田哲也が書き、画を横手じゅんこが担当している。絵は引用できないので、ことばだけ引用する。

  おんぼろ自転車に
  パッパとパパはふたりのり
  ふたりのりの自転車は
  パパとハッパの好きなもの

 書き出しの4行だけで、あ、この詩はいいなあ、と感じる。「ハッパ」という名前がいい。「パッパ」は小さい。幼い子どもだとわかる。女の子かなあ。男の子でもいいが、女の子の方がいい。「ハッパ」という響きのなかに、はつらつとした元気さがある。
 これがナツコだったり、ヨウコだったりしたら、たとえナツコちゃん、ヨウコちゃんと書いてあったとしても、こんなに楽しくはない。
 ハッパはパパと音が似ていて、響きあう。だから、それだけで「仲良し」のイメージがつたわってくる。
 ハッパとパパとはじまって、次にはパパとハッパと順序が入れ替わるのもいい。ふたりは対等なのである。対の感じがとても気持ちがいい。
 この「ハッパ」は先へ進むと、こんな具合にかわる。

  自転車は大きな橋を渡る
  ハッパは川をのぞく
  「ここには カニさんがいるの」
  「うん アユやナマズもいるよ」
  「カッパもいるの」
  パパも川をのぞく
  「カッパだっているよ」

 ハッパ、カッパ、パパ。とても楽しい。「川」もここでは必然性がある。池や湖、沼ではだめだ。「かわ」の音がカッパ、ハッパ、パパへとつながっていく。

  「あっ いたっ
  カッパの頭 ほらっ」
  ハッパが叫ぶ
  「ほらっ まんまるいあの石」
  「ほんとだ」
  流れのなかに浮かぶ
  てっぺん禿の石ひとつ
  川はデコポンを千個頬ばったみたいに
  まぶしく光っている

 ふと、パパは禿かもしれない、などと思ってしまう。「川はデコポンを千個頬ばったみたいに」の一行がほんとうに鮮やかだ。デコポンはイメージそのものと同時に、音としても楽しい。ハッパ、カッパ、パパ、デコポン。異質な音が入ってくることで、ハッパ、カッパ、パパがより自然になるし、同時に、それが破られて新しいことがはじまる予感もあふれてる。

  自転車は中学校のよこの
  ●(せんだん)の木のしたを通る
  教科書のようにウグイスが鳴く
  「ほう ほけきょ けきょ」
  よく出来ました
  ハッパが先生のようにうなずく
              するとパパが口笛を吹く
              「ふう ふけひょ へひょ」
              ハッパが笑う
              「ウグイスのほうが じょうずだね」
              ウグイスも笑う
              けきょ けきょ けきょ
                 (注 「せんだん」は木偏に諫早の諫のつくり)

 ウグイスをまねた口笛の音が傑作。これが「わざと」ではなく自然に聞こえてくるのは、それまでの音の楽しさがあるからだ。

  穴ぼこに自転車がはいる
  パパのおしりがごとんと跳ねる
  ハッパのおしりもことんと跳ねる

 この「ごとん」「ことん」もとてもいい。
 横田の画は「貼り絵」。色が濁らない感じがいいなあ。